佼成育子園[こうせいいくじえん]-東京都杉並区

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佼成育子園前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ
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園のこだわり

ライトワークを目指して

2014年03月31日 月曜日

P1040714今から4年前、2010年4月から記し始めたこのブログも最終回になりました。振り返ってみると子どもに関することを中心に探索し続け、園内・杉並区内・日本内に留まらず、時には欧州の優れた保育環境を目の当たりにし、欧州鉄道の車内でブログ更新した日々など、グローバルな学びをいただけたことは人生の宝となりました。保育界に15年間かかわった今、考えていることは。

 

釈尊が悟った真理の基は「縁起」です。縁起とは、縁(よ)りて起(お)こるということです。全ての現象には原因とそれに触れる条件があり、その結果としての現象が発生し、その結果として未来に影響を残す、という真理です。特に幼い子どもと接する保育現場においては大人の言動が、子どもに大きな影響を及ぼすこと心しておきたいものです。

 

「見守る」という対人関係づくりは保育だけに限りません。見守るとは、その人が居ることで、周りの人が自発的になっていく関係性です。その人に触れると気持ちが癒され、楽になり、自分が本来もっているものが引き出されて、主体的・能動的にその人らしく取り組めるようになっていく関わり方です。見守るは相手主体の人間関係スタンスですから、相手は安心・安定していられるのです。安心できてこそ自発的にその人がその人らしく発達できるのです。保育者同士の話し合いで活発な意見交換ができているかどうか、「言う前に、尋ねてみよう相手の気持ち」を大切にしたいものです。

 

年齢別一斉保育の特徴の一つは、保育者の声が大きいことです。ところが保育者と子どもが1対1の関わりを大切にする保育では大きな声は必要ないのです。「地声」が大きな保育者は自分で気をつけて、周りの人に確認してみましょう。人間の言動には必ず意味・目的があります、0歳からいのちのある限り続くのです。自分の意図しない言動に触れた時にどうかかわればよいのでしょうか。

 

子ども主体・子ども中心の見守る保育を真剣に取り組んでいる園は、思いもよらない功徳が現れてきます。それは保育者同士がお互いを見守れるようになるのです。子どもを見守ること、保育者同士を見守ること、この両輪が成り立ってこそ質の高い保育ができるのです。子どもは見守れるけど、保育者は見守れないという理論は成り立たないのです。職員同士が本当の意味で仲良く、相手を認めつつ、心ひとつにその園の保育理念を中心に、明るく楽しく働けている園が、子どもを見守っている園です。

 

子ども主体・子ども中心の見守る保育が発展していくと、保育者の主体性もプラスされたダイナミックな保育へと進化・深化していきます。保育者が子どもの興味・関心、不思議がっていることを観て意図的にヒントを与えますが、それが正解かどうかは子どもの姿を観なければ解りません。子どもが保育環境に自発的に働きかけて、さらに遊びが発展し続ける人的環境に自分がなっているか、遊びを制限している自分ではないか、時間を制限している自分ではないか、スケジュール通りにこなそうとしている自分ではないか、子どもが楽しがっていることを楽しめている自分でいるか、このような視点が保育者として最も大切なことです。このような保育が展開してく基礎として、おおむね2歳児までの安心・安定した養護・教育があってこそ、おおむね3歳児以上の子どもは自発的に没頭して探索活動が行えるのです。「安心と没頭」がキーワードです。

 

子どもは常に、発達、成長、改善、改革、チャレンジし続ける存在です。現時点で世界が目指している保育の高み・究極は、いわゆる「プロジェクト型保育」で、子どもと大人が共に探索活動を展開する保育です。あらかじめゴールが設定されていない保育、大人都合のカリキュラムを達成しようとせず、子どもを子ども扱いしない保育、子どもの人権尊重を根底にしています。子どもの探求心がどのように展開していくか事前に保育者同士で展開予想ブレインストーミングをして、フローチャート風に書き止め見える化しておきます。保育者が予想した展開と子どもの発想が一致することもあるでしょう、予想をはるかに超えた子どもの展開は赤字等で記しておくと保育の軌跡・奇跡がたどれます。子どもと保育者は同等で、子どもの探求心・大人の探求心は共に尊重されますから、園内の保育環境だけでは探究活動が満足できないことが起こってくるでしょう。

 

その時こそ、子どもと一緒に園を飛び出して、地域・社会で探索活動をするのです。単に公園に散歩に行くなどという園外活動レベルではありません。確固たる目的と意思をもって園外へ出向き、本質・本物を求めて地域の人たちや店舗、工場、自然環境などから学ぶことで興味が広がり深まっていくのです。このような子どもの探求心を満足させるために、保育者は子ども以上にそれを探究する意欲のある人でなければ保育が停滞し、子どもに発達を阻害する保育者になってしまいます。新しいことを受け入れられない、チャレンジしたくない保育者は、子どもや周りの保育者にとってどんな存在になっているか、内省してみることが大切です。明日も子どもと共に楽しめる保育をやってみたい、と思いながら一日を終われる保育者であり続けたいものです。

 

今月ある高校の卒業式に参加し、校長先生から教えて頂いた言葉がとても参考になりましたので紹介します。

★仕事(ワーク)の4段階

○第一段階は、食べるために働くレベル、これを「ライスワーク」といいます。

○第二段階は、石の上にも三年、仕事が面白くなってきます、これを「ライクワーク」といいます。

○第三段階は、その仕事をすることが自分の使命だと思え一生の仕事と思える、これを「ライフワーク」といいます。

○そして第四段階は、仕事を通して地域・社会に貢献奉仕し周りを照らしていく、これを「ライトワーク」といいます。

 

社会人・職業人として今の自分はどのレベルなのか、省みる尺度になる重要な言葉です。目指すは第四段階、高次元のライトワークです、おそらくこの次元の人は、自分で生きているのではなく、おおいなるものに「生かされている」、働いているのではなく「働かせていただいている」という感謝の日々の境地だと思います。来月から佼成病院に勤務することになりますので、職場・地域・社会に貢献奉仕できる「ライトな存在」でありたいと思います。

 

おかげさまで15年間、佼成育子園で働かせていただきました。

その間お世話になった、杉並区役所、杉並区私立保育園連盟の皆さん、新宿せいが保育園の藤森園長先生、カグヤの野見山社長さん・クルーの皆さん、GT園の皆さん、保育関連業者の皆さん、法人本部、保護者、子どもたち、我が家族。

 

そして最後に、遊び心満載の職場で共に学び、共に楽しんだ育子園の職員とそのご家族に感謝を申し上げて、筆を置きます。皆さん有難うございました。 合掌

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

いよいよプロジェクト型保育へ

2014年03月30日 日曜日

東京大学名誉教授・白梅学園大学学長の汐見先生ゼミで、「21世紀型保育」について学びました。今年度最終回のゼミ、今回は汐見先生に御礼を申し上げたく感謝の意も込めて参加しました。理由は前回12月8日のゼミで汐見先生が紹介された、鳥取県米子市「仁慈保幼園」のプロジェクト型保育実践はイタリア・レッジョエミリアで学んだ理論をアレンジした実践だと感じ、さっそく園長先生に連絡して2月に現地訪問、職員にビデオ等で報告して、今月から育子園でも取り組んでいることを報告させていただきたかったからです。近い将来、プロジェクト型保育を導入または導入しようとしている園同士の話し合いの場が設定されることでしょう。

 

 

 

育子園は50年以上行っていた大人主導の日本式年齢別一斉保育から抜け出し、子ども主体・子ども中心の保育へ大転換した上でのプロジェクト型保育との出会いです。双方を知り・学び・実践したからこそ、高次元のプロジェクト型保育の意義・意味・目的が良く理解できるのです。言えることは日本式年齢別一斉保育からは一挙にプロジェクト型保育には移行できない、飛び越せない大河があります。それは子どもの人権、権利条約に対する根本的な誤理解があるからです。一斉保育では、子どもは「○○ができない存在、○○を知らない存在」だから大人がやってあげ、教えなければならない、大人の管理下にコントロールしようとする保育だからです。この誤理解は保育現場だけでなく、国全体でただちに改めなければならない最大の課題です。

 

 

 

ベルギー・ルーヴェン大学で考案されたSICSでは、子どもがどれだけ安心していられるか、自分がやりたことに熱中・没頭しているか、「安心・没頭」の2つが子どもの発達を最高に促していくと定義しています。大人はすぐに評価したがりますが、子どもは評価されると思うと安心して自発的に活動できません、大切なのは大人が評価しないこと、子どもの気が済むまで没頭できる環境を整え、子どもの面白さや不思議さを共感しヒントを与えるのが保育者の専門性です。

 

 

 

人間の発達は「できなかったことができるようになる」、ということではありません。子どもたちの中に元々あったものが豊かになっていくことです。子どもの中に無いものを外から与えるという保育・教育自体が真理にあっていないのです。仏教でいうところの、人間は元々仏性そのものであると同じです。

 

 

 

育子園は常に保育を高めようとしていますから、必然的に素晴らしい保育に出会え、段階を踏んで「子ども・保育者相互主体の共同活動プロジェクト型保育」を深く理解でき、実践していけるのです。汐見先生がおっしゃっていた童謡「雀の学校」と「めだかの学校」の歌詞比較は明快に軍隊方式大人主導と民主的子ども・大人相互主体を表現しています。

 

 

 

「雀の学校」

チイチイパッパ チイパッパ
雀の学校の先生は
むちを振り振り チイパッパ
生徒の雀は輪になって
お口をそろえて チイパッパ
まだまだいけない チイパッパ
も一度一緒に チイパッパ
チイチイパッパ チイパッパ

 

 

 

「めだかの学校」

めだかの学校は 川のなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなで おゆうぎ しているよ

めだかの学校の めだかたち
だれが生徒か 先生か
だれが生徒か 先生か
みんなで げんきに あそんでる

めだかの学校は うれしそう
水にながれて つーいつい
水にながれて つーいつい
みんなが そろって つーいつい

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

保・幼・小の連続性を考える

2014年03月29日 土曜日

杉並区の私立保育園に子どもを預けながら働き続け、小学校教師を30年続けてきた先生のお話をうかがいました。30年前とは子ども、保護者、教師ともに大きく変化しています。環境と共に変化してきた子どもの姿と本来持ち備えている子どもの姿、それを発揮できなくなっているのではないでしょうか。1年生のクラス内ではみんなが見ている前で嫌いな子どものモノを隠す子どもがいます。周りが見ていてもそれをしてしまう発達段階の子どもが増えています。

 

 

幼児期は遊びの中での学びを中心に、時間の区切りが穏やかな生活で総合的な学びの時間を過ごしています。ところが小学校に行くと学問体系で区切られた教科学習、時間で区切られた授業は教師が想定した内容の範囲内にとどまっています。これが上がれない「段差」です。

 

 

もう一方、下りたくない「段差」は園では最年長のお兄さん・お姉さんとして自分でやろうとする意欲、何でもできるという自尊心が備わって入学します。ところが入学すると最年少の1年生として扱われ、できない存在として上級生が何でもやってくれます。授業より先取りした知識は否定されることもあるのです。

 

 

幼児期にはインフォーマルな学びが主で、自分の興味に沿って楽しみ、集中して事前に力を発揮していくのです。たとえば、絵本の楽しさを直観的に読み取り、楽しさや面白さの探求、何度読んでも同じところで笑い、何度繰り返しても飽きないのも特徴です。小学校では自覚的な授業としての学びになり、一つの枠の中で、自分の行動や思考、感情をルールに従ってコントロールする自己調勢力が備わっていきます。

 

 

就学前に最も必要なことは、自由に遊ぶ中で保育者がプログラムされた保育ではない環境の中でとことん遊び込む体験です。ところが、保護者手動で早期教育・塾などに通わせて教育段階を踏ませるプログラムされた学習を植え付けているのです。幼児期に「習得」としての学習が、学習であるととらえ、子どもたち同士で学びあうことよりも、一人で学び点数を取らないといけないと思い込んでしまうようです。

 

 

小学校に上がった子どもに、白紙の画用紙を渡しても何も書けない子どもがいます。園でお手本通りに絵を描かせることを訓練された子どもは自由に描けないのです。幼児期に幼児期らしい活動をしながら、そこに自然と出現してくる次に伸びようとする力を育てることなのです。

子ども・保護者が入学前に心配なことは、一人で登下校できるか、怪我が心配、字を間違えたらどうしよう、変と言われたらどうしよう、先生は怖くないか、笑われたらどうしよう、いじめられたらどうしよう、などですが、保護者の心配が子どもに反映しているようです。

 

 

保・幼・小教員のそれぞれに期待する子ども像の意識のズレがあるのです。では何を連携していくことが大切なのでしょう。発達の連続性に基づいた子ども理解、園での先行経験、自分の興味・関心に基づいて直接的な経験から学んでいく段階から、少しづつ抽象的な思考が始まります。課題を受け止める力が身についてくる低学年階層への移行を意識して、活動のスタイルやカリキュラムを組んでいきます。

 

 

小学校1年生の生活科ではアサガオを育てたり、チャボを飼育観察して知識が培われていきます。幼児期に動植物と十分に触れ合った子どもがいると、リーダーシップをとってくれ未経験の子どもたちに教えてくれるのです。

 

 

5歳後半から7歳前半の子どもを、「接続期」と捉えて保幼小が共通理解を深めること、5歳後半の段階を少し上げていく、共同的な学びを取り入れること、共通の目的や挑戦的な課題など、目標に向かって協力・工夫して解決する活動や場を意図的に設定していくことで、自己調整力の基礎が養われていきます。

 

 

幼児期後期から始まる発達や学びの芽生えが重要で、自己主張・自己実現の表れとして、強い拒否、自発的参加、独創性、能動性、自分のアイディアを出して他者との調整ができる環境を保育者がわきまえておくことです。同時に自己抑制として、順番や遊びのルールを守る、我慢する、最後までやり抜くことを保育が意識して関わるとよいでしょう。

 

 

小学校では1年生の階段を下げようとしていますが活動の水準を下げるということではありません。すべてが枠の中にある学習ではなく、保幼での育ちを生かすような取り組みを増やし、1年生は白紙の状態ではなく、様々な経験をしてきていることを前提として、子どもの意欲や自信を認め子どもの目線に立とうとしています。小学校が今頃になってこのような発想にしていこうとしていることに愕然としました。

 

保幼が小学校へ訪問することはやっていますが、小学校教師・小学生が保幼に出向き園生活の様子を学ぶ取り組みが行なえるとよいでしょう。

 

小学校が保幼に望む取り組みとして、自己と社会性の育ち、自己制御・気持ちの調整力、学びの芽生え、体験の多様性・関連性、群れて遊ぶ中での葛藤が小学校での子どもの学びあいの基礎となるのです。教師から一方的に教える授業ではなく、クラスメイトの話を聞くことが大切だと捉えています。

 

 

保幼小で行っていることを保護者に伝えることの難しさ、子育てが孤立しないようにしてくことが子どもの発達に最も重要なことです。習い事を大切に考えている保護者に対しては、習い事を頭から否定するわけではありませんが、幼児期にしかできないこと、体験できないこと、身につかないことを保護者に説明することです。

 

 

教養をすることは良くないことではありません、その子どもが好きことを見つけ出し、一生続けていける教養なら良いでしょう。幼児期には子どもは親の言うことを比較的聞きますから習い事をしていても、小学校になって止めるケースが多いことも伝えるとよいでしょう。

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

子どもと居るだけが保育ではない

2014年03月28日 金曜日

各園の保育者同士が自分たちの保育を思考し、保育について話し合う、対話することの楽しさ、大切さを園内で広げていくことです。話し合いは2人でもグループでも園全体でもどこでも行えます。経験年数や役職に関わらず、根底に「子どもは面白い存在だ、尊い存在だ」という視点から展開していくと資質が向上していくでしょう。子どもたちの生活を、子どもの最善の利益を守るために最もふさわしい生活で、子どもさながらの生活ができることが求められています。

  

園内の雰囲気を良くしていく取り組みの一例とて学んだ方法は、

全従業員一人ひとりが付箋ラベル等に、①「子どもの育ち、姿で心を動かされたこと、ぜひ記録に残したいこと、保護者に伝えたいこと、従業員同士で話し合いたいこと(5つ)」 ②「気になっていること、反省していること(3つ)」 ③「保育者としての自分の良さ(5つ)」 ④「保育者としての課題(3つ)」 ⑤「園の職員の良さ(5つ)」 ⑥「園の職員の課題(3つ)」 ⑦「園の良さ(5つ)」 ⑧「園の課題(3つ)」 ⑨「保育室の良さ」 ⑩「保育室の課題」 ⑪「園庭の良さ」 ⑫「園庭の課題」 ⑬「地域の良さ」 ⑭「地域の課題」を記して、ラベルを分類して話し合います。多くの従業員が感じている良さはより良くなり、課題はできるものから改善していきます。従業員一人ひとりが記したものが見える化され、意見として取り上げられるので参画してるという意識が醸成されます。

  

日本の保育園では従業員労働時間の内、子どもや保護者と接している時間がほとんどで、保育の記録をとり、研修する時間は確保されていません。保育先進国では毎週数時間は子どもから離れて研鑽できる時間を必ず設定しています。子どもと一緒にいるのが保育ではありません。

  

子どもや保護者から離れている時間を保障している世界標準の国から見ると稀有な状態であるとういことを認識しておく必要があります。時間の余裕、心の余裕を持てる労働環境、職員処遇へ改善できるように保育現場から発信していくことです。

 

 保育の質の目安の一つとして、子どもが自発的に集中しているかどうか、できたとかできなかったのではありません。取り組んでいる過程が最も大切なのです。子どもが集中して取り組めないというのは、提供しているモノが子どもの発達にあっていないことが考えられます。子どもが始めたことを大切にし、肯定、それを共に味わい、一緒に生きる、それが保育の現場です。

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単身化が進む国③

2014年03月27日 木曜日

工業化時代のモデル家族も変化してしまい、夫婦と子ども2人ではなく、少数化、1人暮らしが増えていくのです。女性のライフコースの変化として、これまでは学校卒業して結婚までの短期就労し、家計補助的就労、専業主婦の保護政策、女性の就労は家計の補助が標準的で、職場でうまくいかなくても結婚に逃げ込めるという時代でした。現在では子どもが小学校に上がるまで待てない、夫の収入だけでは生活できないので保育園の待機児童問題が発生しています。幼稚園と保育園の一体化議論も進んでいるように、女性の社会進出における課題が多様化しています。

 

山形県の聞き取りでは男性40歳以上の独身者が急増し、後継者不足が課題になっています。ある33歳の農業後継者へのインタビューでは、妻に農業を強制しない、自分の好きな仕事を選択してよい、親との同居も強制はしない、と考えています。農家に嫁いだら夫婦で農家を継承するという固定観念は崩壊しているようです。

 

昨年のアンケートでは若い女性は専業主婦に憧れています。自分が働かなくても生活できる異性に巡り合えることを夢見ているのですが現実は厳しいのです。離婚率は横ばいですが、結婚する人が減少しているのです。1990年生まれの女性が50歳になった時、生涯未婚24%、既婚子なし14%、既婚子ども一人18%、既婚子ども2人33%、既婚子ども3人11%と予測しています。現在でも50歳の19%が未婚状態で新たな中年期問題が発生しているのです。

 

新宿区の単身化の問題にも参画しているのですが、新宿区では60%が単身世帯です。昭和時代には地方から20歳前に単身で上京し、学校や就職で過ごし、やがて結婚して家賃の安い場所へ移住していたのですが、今ではそのまま単身で高齢になっても新宿に留まっているのです。単身者の大きな課題として、日常的にコミュニケーション不足が起こり、うつ状態の人々が急増しているようです。

 

1970年代は女性の専業主婦化がピークに達した時代でしたが、現在の女性のライフコースとして、専業主婦19%、両立30%、再就職33%です。定まらない女性の生き方として、母親は短期間勤めて家庭に入った成功体験を娘に押し付ける、社会変化に気づかないのです。娘の学業成績への関心は大ですが、就職となると結婚が大事に変貌します。生活文化の継承、伝承が無い時代になってきています。将来への暮らしの不安を抱える心の不安を抱えた若者が増えているのは親世代からの継承がないことです。

 

社会の一員として自分には何ができるのかという発想が弱いのも若者の特徴です。放送大学に入学する社会人の中には臨床心理を学びたいという人が急増している背景には、職場での人間関係が課題で学びたいというのです。

結婚相手と価値観が共有化でき、家事をやってくれること。男性が女性に対する条件は、可愛い、家庭的、賢い、体重が軽い、女性が経済力を持っていること、です。

 

今は男性が結婚しにくい時代で、就職できない、結婚できない、居場所が無いという、このような社会は衰退していくのです。あらゆるつまらない労働、人間がしなければならない「当たり前」の労働から、若い女性たちが総撤退を始めているのです。子育てからの撤退は未婚、子どもを持たないという選択を始めています。これらの背景は、グローバル化に伴う人々の二極化、低所得層の増加と中所得者の減少です。

 

厚労省が始めた「よりそいホットライン(℡:0120-279-338)」は24時間運営しています。3.11から2年以上が経過し、被災者が抱える問題が変化していくのを見据えて解説しました。一日3万~5万件のコールがあり、全国1000人の方がローテーションで運営し、緊急性が高い場合は現地へ出向きます。さまざまな理由で社会から排除された人々、生活困窮者、40代からの電話が多い、20~30代の若年層の生活貧困者が多い、悩みを抱えて孤立している若年者が多い、「日本は壊れている」ことを痛感していると分析しています。

 

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単身化が進む国②

2014年03月26日 水曜日

人間関係の悩みで深刻なのは家族関係によることは仕事、経済、暴力、病気と関連しています。家族的圏域から放り出される男性の増加問題として、単身化は男性が先に進み、女性がその後を追っています。中年から初老の男性の実態把握が進んでいて、なかでも孤独・孤立死が大きな課題です。

 

身内との縁が切れた単身中年男性の増加、稼ぎ手の役割を果たせない男性の無縁化、ケアという社会資源の確保と公平な分担ができないできないまま、衰退していく社会、人とかかわる力、他者への気遣いとケアが衰退する社会は持続できないのです。千葉県常盤台団地では単身者の孤独・孤立死を防ぐために、見守り活動をしています。単身者の多くは、リストラで仕事が無くなり、家族と離縁し、病気になり最後を迎えるのです。このように中年期の単身が日本のこれからの大きな課題になっているのです。

 

社会から孤立しないためにはケアが大切、声をかけてくれる、挨拶をしてくれるという簡単なことで孤立を防げるのです。男性は自ら挨拶しないなど、孤立する可能性が高いようです。人と交わる力が備わっていない若人たちが中年期を迎えると、結婚し家族を持つことができるのでしょうか。家族以外の人と交流の無い割合が多い国はOECDの中で日本が断トツです。

 

日本人の心の矛盾した状況として、家族の古い心苦し関係から解放され、自由を謳歌したい、しかし孤独でいることは寂しい、暖かい関係に囲まれていたいと考えています。再生産とケアの変容として、家族の特徴は子どもを産む、育てる、病気や高齢者の看病や介護、心のよりどころとしての家庭づくり、団欒・気配り・気遣い、身内の絆を維持し心の支えやよ拠り所、人々の全生活を丸ごと引き受ける場所、帰属する場所、子育て・介護を女性に負わせてきた社会のリスク、変容する家族と共に衰退、

 

荒川区では、町内会活動が活発に行われていて、子どもの貧困防止条例をつくり、荒川ハピネスを独自に造りました。木造2階建ての1階で子育て支援場所にして、2時間500円で子どもを預かる事業を始めています。約100人のボランティアのうち50人は都市大学東京の学生、区民50人は60歳以上の方々です。高齢者は乳児を心置きなく抱っこできると喜んでいます。核家族ではできないことを地域の方々が子育てを分担しているのです。ファミリーサポート協力員も60歳以上の方が多く、人の面倒を見ようという下町人情が残っているので上手くいっているようです。

 

横浜のドリームハイツでは、専業主婦が先導して保育園、介護施設、カフェ、レストランまでつくりました。ケアという手段が家族に留まらずに地域でケアしていく時代なのです。この事例のように育子園の近くにも老若男女が集える場所を作ることで地域の活性化になることでしょう。

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

単身化が進む国①

2014年03月25日 火曜日

「変わる家族・子育て・介護・仕事・地域コミュニティ」がテーマのセミナーに参加しました。女性の役割が変わると職場が変わり家族が変わり地域が変わるという連鎖が生じます。平成になってからの変化は凄まじい勢いで加速しています。2050年を想定して会議を行っているのですが、討議しているメンバーもこの世にいないのです。2030年だと現在を引きずられた暗い展望ですが、2050年になると全く違う未来が描かれるようです。

 

男女、年齢、という考え方も相当程度変わっていくでしょう。全員参加型の社会に変化していくのです。そのための条件整備が必要ですから、今の内から準備を進めておくことが必要です。

変貌する家族の変容は、日本では単身化が進んでいます。1960年代1980年代前半の工業化の時代では、男性稼ぎ手モデルの変容です。不家族化の時代の幕開けで、伝統的な家族という形態が崩壊し始めてきました。祖父母と夫婦と子どもという大家族から核家族化へ変化していったのです。工業化に伴いサラリーマン家庭が増え、専業主婦となった女性は家事と育児をになうことになりました。夫の賃金が上昇する中で、家族の関心事は子どもの教育への過熱したのは1980年代でした。現在の韓国での受験競争は当時の日本を思い出させます。

 

工業化時代に完成した社会政策の特徴は、国が社会保障制度を支えるというのではなく企業の社会保障で支えるという日本独特の制度へと変化していったのです。欧州などではこの部分を国が責任を持っているのです。リタイアした日本人が東南アジアに移住しているのですが、その中には非婚化の男性が多く、現地の人と結婚するケースも増えています。

 

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第四の発達障害

2014年03月24日 月曜日

子ども発達センターによると、ADHDとは、

自分の思い通りに行動と感情がコントロールできない、多動、片付けられない、本人はやりたいのにできないのです。

発達障害の有名人として、スーザンボイル、スピルバーグ、ビルゲイツ、エジソン、アインシュタイン、などが有名です。

障害が発見されると同時にその子どもが良い環境で過ごせるように支援することがセットです。

 

第四の発達障害と呼ばれる子どもは、養育困難、虐待など安定した家庭生活ができない子どもを対象にしています。健康的な破壊と再生ができな子ども、赤ちゃんはオムツが汚れたり、お腹がすくと泣いて呼ぶと、大人が優しく対応してくれます。これが破壊と再生です。ケンカして仲直りする、無駄遣いしたら慎む、人間の人生は破壊と再生の繰り返しです。日米で4,000本安打を記録したイチロー選手は、8,000回の失敗があったからだと言っています。

 

現在の保護者は子どもに失敗させないように育てようとしていますから大きな間違いです。ある市区町村の教育長は教育はサービスではないことを保護者に伝えることにしています。園の中で他者とぶつかり、葛藤を繰りかえせる保育環境を保障することです。玩具の取り合いは必要不可欠なのですが、トラブルを避けるために一人に一つ玩具を与えることが解決方法ではありません。

 

愛着障害の子どもの家族関係は上下関係になっていますから、園でも勝った負けたとか、いつも上下関係になり、他者と対等な関係性を持てない子どもです。たとえば2人きょうだいの家族のやり取りですが、上の子どもが下の子どもを叩いたのを見て、父親が上の子に対して高圧的に、下の子どもに対してそんなことをしてはいけない、と叱責しているのです。親も子どもと同じことをしている、親のやっている通りのことを上の子どもはやっているのです。

 

支配を愛情と勘違いして育っている人が増えています。たとえば大学の授業中は携帯禁止と伝えてもやっている学生がいます。聞いてみると交際相手からのメールで、すぐに返信しないといけない約束になっているというのです。授業と自分のどっちが大事だと質問してきたので、貴方の方と答えました。これは愛情ではなく支配されているのです、授業に集中しようとしている人の時間を奪っているのです、それは愛情ではありません。

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

大切にしたい子どもたち

2014年03月20日 木曜日

子ども発達センターによると、知的障害(1~2%の子ども)とは、

●知的な能力の発達に明らかに遅れがある

●適応行動をすることに明らかな難しさがある

●発達期に症状が現れている

 

ビネー式では知能指数100を基準としています。医学では知能指数70以下ですが、教育・福祉は75以下なので保護者は困惑することがりますから、丁寧にそのことを説明することになります。6歳児が80であれば5歳弱になりますが、1年以上の差を容認しているのですが、成年月や家庭環境によるアンダーアチーバーは、地域の小学校へ入学してからついてけなくなるのです。

 

広汎性発達障害(DSM-Ⅴでは自閉症スペクトラムへ)とは、

●自閉性障害

●アスペルガー症候群

●レット障害(手もみ症候群)

●小児期崩壊性障害(獲得したモノが崩壊)

●特定不能の広汎性発達障害

 

他者視点をくぐらせて自分の行動ができない、相手の気持ちを察しない、ストレートに相手に言う、冗談が通じない、行間が読めない、あいまいなことは理解できない、ルールに厳しい、言葉を額面通りに理解するのです。とりわけ日本語圏は言葉の省略が多いので、この子どもたちにとっては生活しづらい地域といえます。とにかく丁寧に説明する必要があり、予定の変更に対応できないので生活の中で困難な場面が現れます。

 

学習障害とは、

園で片付けができない、年長で絵が描けないこどもは少し気にしておくことです。小学校になってからアカデミックスキルが付きにくいのです。練習をすると上達していくのですが、学習障害の子どもは練習を重ねても上達しないので、大人はそこを知っておかなければなりません。小学校になると、宿題を提出せず、文字を隠して書くようになり、自分は頑張ってもできない人間、周りの期待に副えない人間、と思うようになり現実逃避していきますから、通級制の学校に通うことができます。

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

子ども集団の三層

2014年03月19日 水曜日

子ども発達センターは、子ども集団を三層に分類しています。

①    自分自身の力でチャレンジできる子ども

②    ひと声かけることで力を発揮できる子ども…正しい習慣を身につけていない子ども、自己中心的な子ども、集団適応に困難さを抱えている子どもなど

③    特別な教育ニーズを持つ子ども…個別の教育ニーズがハッキリしている子ども

 

小学校1年の担任に聴いてみると、①が60%、②20%、③20%という答えが返ってきます。実は教師、保育者が対応に苦慮しているのは、②の子どもたち、後天的な発達の偏り、近縁グループが②の子どもたちなのです。発達障害の研究は凄まじいスピードで解明されていますから、常に新しい情報を入手して対応することが重要です。2013年5月にアメリカの精神医学会の診断基準が10年ぶりに変更され、DSM-Ⅴになりました。「障害」という言い方をできるだけ使わないようにして「神経発達症」という方向のようです。日本語版の翻訳をしていますが、我が国で統一して取り入れるには2年はかかるようそうです。

 

発達障害とは、

●発達障害は乳幼児期から児童期にかけて発症します(症状が現れてくる)。

●基本的な障害は脳の障害によって起きます(親のしつけや性格の偏りではない)。

●障害の範囲は、認知・言語・運動・社会性など広範囲に及びます。

●基本的な障害の経過は、慢性の傾向を示し、成人期以降も持続します。

 

国民が発達障害を認識するまでは、親のしつけや育児が子どもの言動に影響していると見ていたのです。対象の親子はどれほど辛い思いをされたか計り知れません。現在では法的に支援する制度が整備されましたから、市区町村は保育の実施に当たっては、発達障害児の健全な発達が他の児童と共に生活することを通じて図られるよう適切な配慮をするものとすることになっています。1歳6か月検診でキチッと検診すれば70%程度は発見できるのですが、財政的な後ろ盾が必要です。不適切な養育環境でない子どもが対象ですが、首が座った時期、興味のあるモノを指さす・叙述の指さし・三項関係ができるか、簡単な指示に応答できるか、何か声を出しながら欲しいモノを指さすか、泣かしかけても目が合わないのでおかしいと思ったことがあるか、などです。

1歳6カ月検診では、喋れるよりも指さし三項関係ができていることが大切なのです。

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