背中があったかい
2021年07月12日 月曜日
0歳、1歳は泣いたら誰かがそばに来てくれます。泣く理由は様々です。眠たい、のどが渇いた、おもちゃが欲しい、お尻が気持ち悪い、ママにパパに会いたい、抱っこしてほしいと本当にいろいろあります。保育園では保育者がすぐに応えています。
先日、幼児クラスを覗いてみると子どもたちは自分の好きな遊びに夢中になっていました。保育者と一緒に折り紙をしている子、お友だちと一緒に遊んでいる子、一人で製作をしている子、みんな楽しそうでした。
一人の子が保育士のそばにいました。何をしているのかなと角度を変えて見ると絵本を読んでいました。静かに読んでいました。それも保育士の背中にちょっとくっついていました。当然保育士もわかっています。子どもの気持ちを察して寄りかからせていました。
言葉で保育士にお願いして寄りかかっているのでしょうか、そうではなさそうでした。そっと寄って保育士のぬくもりを感じていたのでした。きっと、保育士に受け入れてもらったことで安心感が得られたのではないでしょうか。
幼少年期においては、大人に受け入れてもらうことで安心が育ちます。大人から見るともしかすると、甘えていると見えるかもしれません。「それくらい自分でできるでしょう!」と思うとその行為が甘えに見えてしまいます。「自分でできることは自分でする!」と言いたくなります。大人の打算の目は、子どもの本当の姿を曇らせてしまうことがあります。
幼児期の甘えの根は、大人の受容という土から安心の栄養を吸収し、信頼と思いやりそして自立という花を咲かせるようです。
我が子との関わりをふり返えると、子どもに「甘えるんじゃない!」と理由も聞かずに言ってときは、
自分が甘えたい時だった気がします。
園長
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