三草二木の譬え
2021年04月09日 金曜日
先日、母の語る昔の話の中で、「なるほど」と感心するものがありました。それは、母の義理の妹の話です。
妹は口数が少なく、行動が非常に遅いため、仕事に出ることが決まった時、母はとても心配したようです。それでも妹は毎日仕事に通い続けました。何年間か勤め上げ、そこを辞めることになったとき、母は妹の職場にお礼を言いに行きました。すると対応してくださった上司の方が「妹さんは、確かに行動は遅いけれど、とても丁寧にお仕事をしてくれます。ですから、高級なお皿洗いを担当してもらっていたんですよ。」とおっしゃったそうです。
ゆっくりゆっくり丁寧に洗うから、高価なお皿を割ることはなかったようです。「短所と思っていたことを長所にかえて、持ち味として生かしてくださった上司の方は、本当に素晴らしい」と母は言っていました。
人は、周りと比べ同じようにできないと劣っていると見てしまったり、同じように対応してもらえなかったら不平等と感じたりしてしまいがちです。しかし、法華経の中に出てくる『三草二木の譬え』のように、雨は同じように降り注ぐけれども、その恵みを受けた草木は、それぞれの個性に応じた姿、形、性質で成長し、他と比べることも劣っていると批判することもありません。同じ恵みをいただいても育ち方は違い、それぞれの生き方をしていきます。
人間も同様で、同じ命をいただいたけれども、みんなと同じ生き方ができることが平等ではなく、『自分の持ち味を生かし、自分の役を果たしながら周りに貢献する生き方ができること』それが平等なのだと改めて確認できたお話でした。
保育主任
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