ありのままに見る
2020年02月06日 木曜日
ありのままに見れる人の周りは穏やかです。わがままに生きる人のまわりは息苦しくなります。
仏教ではお釈迦さまから示していただいている物事の見方は「あるがまま」です。あるがままに見えないのは、自分の見方に固執している時です。仏さまの教えを学び、実践していくと執着が取れて「あるがまま」に見えていきます。
通勤で駅に向かう道を歩いているとたばこの吸い殻が落ちているのを見かけます。目にすると「いったい誰が棄てるんだろう、困ったもんだ。」と思うことがよくあります。
また、駅構内でも朝のラッシュ時はちょっと気を抜いていると足を踏まれたり、肩がぶつかったりします。そんな時は「もう、まったく!」と思いがわいています。この「困ったもんだ」や「もう、まったく!」はあとからわいた自分の感情です。自分の価値を付けて見ていることがほとんどです。通勤途上の接触はよくあることで、双方が気を付けなければいけないことですが、つい自分が被害者意識になっていることがあります。自分中心の見方になっています。「あるがまま」「ありのまま」に見ていません。
ありのままに見ると「朝の通勤で人にぶつかると、相手を責めている自分がある」ということになります。こうみえると、怒るという感情もわいてきません。自分の感情だけで見ている見方が「自分中心の見方」となり、「わがままな見方」になるのだと反省することがよくあります。
執着で見ていると相手が困った人にしか見えません。執着が取れて「質直にして心柔軟にして」の心でいつもいられるように心がけています。
園長 田中基之
Posted in 三感ブログ