ドアがしまっているから
2020年02月03日 月曜日
節分を迎え、寒いながらも清々しい朝を迎えさせていただきました。
2歳児のNくんがお母さんと一緒に自転車に乗ってやってきました。後部座席に取り付けられたフード越しにN君の顔が見えました。お母さんは自転車を降りてゆっくり門の中に進んでいました。フードの中に見えるNくんに「Nくん、おはよう!」と呼びかけましたが、Nくんからは返事が返ってきません。今度は小さい声で「Nくん、おはよう」と言いましたが、口を結んだままでした、お母さんが「Nくん、おはようございます」は?と聞くと、Nくんは「いま、ドアがしまっているから」と返事が返ってきました。
フードをただドアと置き換えただけなのか、それともかNくんが一枚のドアを思い浮かべたのだろうか。
わたしは、後者を選択していました。そう思うとNくんの想像力に満ちた子に見えてきました。
なんとユニークな返事なんだろう!! この「ドアがしまっているから」の言葉にNくんの言葉の豊かさ知ったような気がきました。お母さんの「ちゃんと挨拶するんだよ」という意味が込められた「Nくん、おはようございますは?」の言葉がけに対して、「挨拶ができないわけ」を「~だから」とその理由を伝えてきたことでした。
今まで2歳児のクラスで聞いてきた質問と返事のやり取りは、「ご飯はもういいの?」の問いに対して「うん、もういい」とか「おなかいっぱい」や、「これであそぶ?」と聞いたときには、「ううん、あそばない」や「うん、○○であそぶ」や、「夏休みはどこか行きましたか?」では「おばぁちゃんちに行った」、「ディズニーランドに行った。楽しかった。」など2語から3語のちょっとした会話が多かった気がします。
この時のNくんから返ってくる言葉の予想は、積極的に応えたときの「おはようございます!」か、消極的に応じたときの「無言」だったり、「うう~ん」と否定を含んだ返事でした。
その返事は予想に反したものでした。いま自分が挨拶できない理由を、今この状況にないものであり、フードの中にいる自分の状況を今まで見てきたもの、体験したものを思い浮かべ、最も適した「ドアが閉まっているから」という状況に設定したのではないだろうかと2歳児の返ってきた言葉にしばし、感動していました。
園長 田中基之
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