初代園長先生の生き方(3) 育子園創立70年
2019年12月05日 木曜日
初代園長先生は徹底した布施をされた方でした。
畑で採れた餅米をお餅につきましたが、妙佼先生はご自分で就いたお餅を取り上げて、お供えするものはお供えするように作って、全部信者さんにお配りになりました。ご自分で食べようとも思っておつきになったものでも、信者さんにあげてしまわれたのです。
はきものなんかでも粗末なものをはいている人があると、もうどうしてもご自分のをあげたくなられるらしいのです。相手によっては、「これは私が持って行ってあげては帰っていけないから、あなたが持って行って、虚空蔵菩薩様から頂いたものだから―と言ってあげなさい」とご自分は表面にお立ちにならないのです。《慈悲の生涯より》
初代園長先生は、常に目の前の方を大事にされていたのでした。「もうどうしてもご自分のをあげたくなる」のは母親の子どもを思う気持ちなのだと思わせていただきます。
その姿から亡くなられて六十二年経った今でも“慈母”として慕われ続けています。
私たちも、初代園長先生のように目の前の子どもたちが元気に過ごせるよう努めています。
子どもたちは、毎日の遊びを発展させて楽しんでいます。
園長 田中基之
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