初代園長先生の生き方(2) 育子園創立70年
2019年12月02日 月曜日
現在、日本では食べ物が溢れています。“食品ロス”として取り上げられています。食品を提供するお店で廃棄されてしまう食品です。その生産過程で廃棄される食材も含まれています。コンビニやスーパーでの食料品、食材廃棄の問題もニュースで取り上げられてきました。
『日本の食品ロスはおよそ646万トン(2015年(平成27年)度推計)。この量は、世界で行われている食料援助量、およそ320万トンを2倍以上も上回る。日本では食料が余り大量に廃棄されているという現実がある。』との報告がされています。
初代園長先生(脇祖さま)は物に対してどのような見方をしていたのでしょうか。在りし日のエピソードを転記させていただきます。
妙佼さんが、「物」の命を拝んでこれを最大限に生かす―ということは、人に与えるときだけではなかった。人から「物」をもらうときでもそうだった。あるいは「物」を使うときでもそうだった。「物の殺生」という言葉を妙佼さんはよく使った。「物」のいのちを生かさず、無駄に殺してしまうという意味である。・・・人様が、お芋一本でも二本でも持ってきて御宝前にお供えするのを見て、先生はいつでも「もったいない、あれはほんとうの真心であげてくださったのだから、粗末にしてはいけないよ」とおっしゃり、そうして、まず、ご自分がそれを始末されるのでした。その頃は道場の回りが全部畑になっておりまして、お芋がたくさん作っておりました。十俵も、それ以上もお芋がとれてゴロゴロしていました。私たちはどちらかといえばあきあきしたような気持でいるところへ、信者さんが本当の真心でもってきてくださった僅かのお芋に対して、そのようなお考えになり、取り扱っていらっしゃったのです。「慈悲の生涯」より
初代園長先生(脇祖さま)はすべての生き物、動物、植物、鉱物、水や空気、すべてのものに命が宿っていると見ていました。すべての存在に命があり、価値があり尊んでいました。これを仏教では山川草木悉皆成仏といいます。
すべてのものに命を感じる生き方は、目の前の人への温かさに通じていきます。
園長 田中基之
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