初代園長先生の生き方 育子園創立70年
2019年11月28日 木曜日
学校や幼稚園・保育園の持っている雰囲気は、創設者や初代園長の思いが感じられるものです。佼成育子園もその例にもれていません。初代園長は立正佼成会の副会長の長沼妙佼先生(当時)でした。在りし日の生きざまを“慈悲の生涯”と言われていた方です。育子園のどこか感じる温かさは、この慈悲の心が今も繋がれているからだと思わせていただきます。
初代園長先生の人に対する温かさは、父親譲りと思われます。父親が常に言っていたことは「人様のためになることをするんだよ」 「貧乏や金持ちは一緒くっついてはいない。仏さまの教えられたよい行いをすれば、必ず良い報いがあるんだよ」 「欲が一番いけない。着ものだっていっぺんに十枚も二十枚も着られはしないんだから・・」でした。また、6歳のときから母親代わりをされたお姉さんからは「素直に人の言うことを聞く娘になりなさい」 「自分のことよりも人のためになることをしなさい。いつも慈悲の心を持ちなさい。人に知られない陰徳を積みなさい」と父親の言葉、姉の言葉通りの生き方をされていました。
その働き方は、朝から晩まで実を粉にして働いていた。その働きぶりは、給料のためでもなく、生活のためでもなく「人間働くことが当たり前だから働くのだ」といったような無私無欲の働きぶりでした。
埼玉から東京に出てきて植木屋での働きぶりが認められ、そこのおかみさんとご主人により、結婚(再婚)の世話をいただき住居付きの店まで買ってくれたといいます。
そして、いただいたお店埼玉屋(夏は氷、冬は焼き芋)は、脇祖さま(妙佼先生改め)の気さくさ、温かさにより多くの若い衆のたまり場のようになっていたといいます。
―慈悲の生涯―より
脇祖さまの前半生の生き方は、人としての生き方のお手本とさせていただいています。
園長 田中基之
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