言葉の奥にある気持ち
2019年07月26日 金曜日
以前、あるグループで悲しい出来事がありました。子どもたちが大切に育て、成虫に孵化したカブトムシが逃げてしまったのです。「カブトムシになったんだよ」と嬉しそうに報告し、得意げに見せてくれていた次の日の出来事でした。
担任保育士が、「悲しいことがあったんだ」と報告しているところへちょうど遭遇しました。私は、昨日の子どもたちの嬉しそうな表情を思い出し、ショックのあまり「え~」と驚きの声をあげてしましたした。すると、隣にいた年長児のA君が「でも、大丈夫だよ。だって他にまだ3匹幼虫がいるから」と私に教えてくれました。その瞬間、「A君まだ、悲しいという感情はわかないのかな」と思いました。
しかし、違っていました。その後A君は「どうして(年少児の)B君は悲しそうな顔をしていないのかな」とつぶやいたのです。A君は「え~」と驚く私を慰めるために「大丈夫だよ」と言ってくれただけで、本当は私と同じでとてもショックで悲しい思いをしていたことに気づきました。
表面的な言葉のその奥には、たくさんの気持ちがあり、それを見落としてはいけないと心優しいA君に改めて教えていただきました。
保育主任
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