子どもの育て方 “ほめる”ということは知っていても
2019年05月20日 月曜日
人を育てるときによく耳にするのが“ほめる”と言うことをよく聞きます。多くの方が知っている言葉に連合艦隊司令長官 山本五十六の“やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ”があります。この言葉を知っているだけでは人を動かすことはできないし、育てることはできません。 “ほめる”ということがポイントです。
このほめるというのはどういうことでしょうか。かつてほめることが苦手だった私は、言葉を出すときに葛藤していました。「ほめてばっかりいたら図に乗るんじゃないか?調子に乗るんじゃないか?」と思っていました。今思うとそれは、私が相手を正しく見ていないときや見ることができていないときに生じる自分の心の不安感でした。相手の言葉や行動、存在を認めないで言葉だけが先行していたのでした。
そして、先日あらためて思ったことが見る人が磨かれた眼を持っていないと“ほめる”ことも見る人の眼に写ってこない問ことです。先日、ある保育士の記録から「なるほど、こういう眼をもっていることなんだ!」と思うことがありました。それは、Aくんの園庭での様子を記録したものです。「園庭で遊んでいるうちに靴が片方脱げたようです。すると近くにいた他のクラスの保育者に助けを求めていました。逞しいです。」と書かれていました。「靴が片方脱げて他のクラスの保育者に助けを求めた」というのは私でも見えます。しかし、そのことが「逞しい!」とみえるかは磨かれた眼がなければ、気づかず見過ごしてしまいます。評価の中で培われた私の脳は、「与えられた課題を達成できたら、上手にできたら」という条件と結果が明らかになっているところで“ほめる”ことがなされきました。育子園の毎日の保育の中でおこる一瞬の出来事を見逃さないのは、日ごろからの子どもの様子と相手の思いに立った視点があればこそだと思わせていただきました。
園長 田中基之
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