言葉がこころにしみていく
2019年04月15日 月曜日
先日、夕飯をとってからコーヒーを楽しんでいたところ喉がイガイガしてきました。咳がでる前兆でした。案の定、このときも、あわててタオルで口を押さえたもののコンコンと咳き込んでしまいました。この春先は、アレルギー性鼻炎もあってくしゃみや咳で私の存在感は否応にも増していました。もし、「もう、マスクもしてないんだから、マスクくらいしてよ!」なんて言われたら、面白くない顔をしていたに違いありません。
この時、台所にいた妻が「大丈夫?」と言いながら、喉によさそうなのど飴を「これをなめたらいいよ、らくになるよ」と置いてくれました。心配してくれてあり難いなぁという思いになりました。
私は相手からの言葉で心がいつも大揺れになってしまいます。温かい言葉には喜び、失敗したときに本当のことを言われると心が固まってしまいます。自分中心に周りを見るくせがなかなか抜けません。
それでも育子園で子どもと接しているお陰で、「今どんな思いで行動していたのか、声を出していたのか」と考えるようになってきました。1歳、2歳児は目の前にあるものが欲しいと、今それを使っている子がいても目に入らなくなる時があります。
少し前のことですが、砂場にOくんが小さなバケツを持って入ってきました。しばらく手で砂を集めてバケツに入れていました。この時に目の前でKくんがスコップを使ってお山を作っていました。Kくんがスコップをちょっと置いてお山を両手で固め始めました。Oくんの目には落ちているスコップが目に入りました。ためらいなく、そのスコップを手に取りました。取られたと思ったKくんは泣いてしまいました。
そのとき私はOくんに「だめでしょ!それはKくんが使っていたものでしょ!・・・」と言いたくなっていました。そこを押さえて「Oくんはスコップが欲しかったの?」と言葉をかけると、「うん」とうなずきました。
子どもが朝の会に入らないときも、お昼になっているのに遊びをやめないときも、給食を食べないときも、その子どもたちなりに意味があります。意味が分かると、子どもの思いが分かると次の行動に移るきっかけをつくることができます。
保育者と子どもがいつも分かり合える園でありたいと思っています。
園長 田中基之
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