目指すは言葉と行動の一致
2018年09月27日 木曜日
息子が4歳のころでした。息子と一緒にお風呂に入っているときに妻に対する「・・・と、そんなに言ったって疲れてできないときもあるんだ。少しはこっちの身になっれていうもんだ!」。愚痴がつい口から出てしまいました。我に返ると息子がきょとんとした顔で目の前にいました。間を置かず息子に「これはお母さんに言うんじゃないぞ!男の約束だぞ」としっかりかみしめました。息子も「うん!」と分かってくれました。しかし、これは束の間の安心でしかありませんでした。間もなくしてお母さんが帰ってくると息子がお母さんのところに駆け寄り「おとうさん、本当はやりたくなかったんだって・・・」と話しているのが聞こえてきました。さっき「お母さんには、言うなよ!」は、泡となって消えていきました。一度口から出た言葉は消すことはできないと肝に銘じました。
当時、つい心の中で呟いていた言葉が「そうは言っても」でした。本当は受けたくないことも「あぁ、分かった」と我慢して聞いていました。いやいや聞いていましたので、消化不良のまま心に沈殿していました。そのため、このように心の呟きがタガが緩んだ時に口から出てしまったのでした。人から注意された、指摘されたと思った言葉は素直に受け取ることはできません。
社会生活をしていれば、自分にとって都合の良い言葉だけ聞いていればよいというわけにはいきません。しかし、かつてのように「そうは言っても」と思ったことが消化不良にならないようにしています。
そのためには、まず、ことの主体を自分にすることです。怒っているとき面白くないときなどは、「原因は相手にある」と思っています。このとき、自分が問題だとは思っていません。変えるべきものは相手であると思っています。怒りの矛先は相手(外)に向いています。これは、主体が自分ではなく相手にあります。
そこで、自分が主体となるために、自分と出来事の関係を客観して見ます。「本当は、やりたくない自分」とか、「俺の気持ちも分かってほしいと思っている自分」なんだなぁと自分を受けとめます。しかし自分の見つめ方をここでやめてしまうと、「いやな気持」が残ってしまいます。
そこで、もう一人の自分が『努力しているなぁ、すごいぞ!』『お前もがんばっているな!』『なかなかできることじゃないよなぁ』と励ましています。心の中にちょっと力がわいてきます。さらに大事なことは完璧にできるようになることではなく、できるように改善しようと努力していることと思っています。
副園長 田中
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