精進とは
2018年01月26日 金曜日
お釈迦様の弟子の中にシュリハンドクがいます。「垢を除き、塵を払わん」という修行をやり通し、ついに阿羅漢の境地に達した方です。
優秀な兄に比べ シュリハンドクは、自分の名前も書けない。教えを聞いても理解できず、すぐに忘れてしまう。そんな人が、お釈迦様の弟子として後世に名前を残していることにとても驚きです。 まして、ついに悟りを得たというのだからいかなる精進をしたのか、不思議に思います。
「垢を除き、塵を払わん」という一句さえも覚えられない自分のおろかさに悲嘆にくれているシュリハンドクに対して、お釈迦様が言ったことは「自らの愚を知っている者が真の知恵者である」と励まされた。
お釈迦様は、上達しないことに腐らずよく同じことを続けたことの大切さ、 上達することも大切だが根気よく同じことを続けることはもっと大事だと話した。
弟子の修行の様子をつぶさに見ているお釈迦様。 シュリハンドクは何度も、何度も繰り返し20年間精舎を掃除し続けた。そして、ついに「自分の心、人の心も同じだ!きれいにし続けなければ汚れてしまう!」と悟った。
20年も同じ修行を続けることができる忍耐力、持続力は計り知れない。
私自身、「修行、精進は悟りを得るためのもの、だから尊い。」と思い、いつのまにか結果だけを見ている自分に気づかせていただいた。
精進すること自体が尊いことなのだと六波羅蜜の教え(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)で説かれていたのです。お釈迦様の説かれている教えは、精進努力することにも意味があり、悟ること同じように尊いことなのだと改めて気づき、精進することの有難さを教えていただいた。
副園長 田中
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