優しさが力に
2017年08月29日 火曜日
子どもたちを見ていると、みんな成長する力を持っています。自主性、自立心を持っています。その力を引き出すかかわりを保育者の皆さんが子どもたちと毎日取り組んでいます。
それは、保育指針にある「幼児期の終わりまでに育ちが期待される10項目の姿」とあります。躾のように子どもに新たに身に付けさせるものであるように思いがちになりますが、実は子ども自身の成長する中に必ず見ることができます。その瞬間にどんなふれ合いができるかによります。保育者の心にどんな姿が映り、その瞬間の子どもがどのように見えるかです。
普段から、損得、善悪を自己中心の眼で見ていると‘優しい心’や‘あたたかい心’は見過ごしてしまいます。見過ごすどころか足りなく見えて「どうして言わないのですか?」「どうしてやらないのですか?」「どうしてやってしまったのですか?」という問いかけをしてしまいます。
わたしが地域のクリスマス会に参加したときのこと、楽しいひとときを過ごし、最後に記念撮影になりました。その時です、一人の女の子がケーキを写真撮影の列に投げ込んできたのです。見ていた私もケーキがあたかもスローモーションで向かってくる感じでしたが体が動きません。そのケーキは最前列の母子にバチッと当たってしまいました。そのお母さんは、少し驚いていましたが、「大丈夫ですよ、拭けば取れますから」と自分と子どもについたクリームをふき取り、写真撮影を終えました。
損得の眼でケーキをぶつけられた自分を見ると、「なんで私がこんな目にあわなくちゃいけないの」となります。善悪の眼でケーキを投げた人を見ると、「ケーキを投げるなんて、許せない!、謝ってください!」となります。
このお母さんの目は、優しい目でした。「他の方ではなく、私たち親子でよかったです・・・、私たちなら本当に大丈夫ですから」とケーキを投げた子のことを受け入れてくださったのでした。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にある、“・・・ 欲ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ イツモシズカニワラッテヰル ・・・・アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ” の詩が浮かんできました。
損得、善悪で見ない見方、受け入れる心。相手の思いを理解し、ありのままに見る見方を教えていただきました。
保育者の皆さんの子どもを見る眼は、とても優しい目をしています。 副園長 田中
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