ライトワークを目指して
2014年03月31日 月曜日
今から4年前、2010年4月から記し始めたこのブログも最終回になりました。振り返ってみると子どもに関することを中心に探索し続け、園内・杉並区内・日本内に留まらず、時には欧州の優れた保育環境を目の当たりにし、欧州鉄道の車内でブログ更新した日々など、グローバルな学びをいただけたことは人生の宝となりました。保育界に15年間かかわった今、考えていることは。
釈尊が悟った真理の基は「縁起」です。縁起とは、縁(よ)りて起(お)こるということです。全ての現象には原因とそれに触れる条件があり、その結果としての現象が発生し、その結果として未来に影響を残す、という真理です。特に幼い子どもと接する保育現場においては大人の言動が、子どもに大きな影響を及ぼすこと心しておきたいものです。
「見守る」という対人関係づくりは保育だけに限りません。見守るとは、その人が居ることで、周りの人が自発的になっていく関係性です。その人に触れると気持ちが癒され、楽になり、自分が本来もっているものが引き出されて、主体的・能動的にその人らしく取り組めるようになっていく関わり方です。見守るは相手主体の人間関係スタンスですから、相手は安心・安定していられるのです。安心できてこそ自発的にその人がその人らしく発達できるのです。保育者同士の話し合いで活発な意見交換ができているかどうか、「言う前に、尋ねてみよう相手の気持ち」を大切にしたいものです。
年齢別一斉保育の特徴の一つは、保育者の声が大きいことです。ところが保育者と子どもが1対1の関わりを大切にする保育では大きな声は必要ないのです。「地声」が大きな保育者は自分で気をつけて、周りの人に確認してみましょう。人間の言動には必ず意味・目的があります、0歳からいのちのある限り続くのです。自分の意図しない言動に触れた時にどうかかわればよいのでしょうか。
子ども主体・子ども中心の見守る保育を真剣に取り組んでいる園は、思いもよらない功徳が現れてきます。それは保育者同士がお互いを見守れるようになるのです。子どもを見守ること、保育者同士を見守ること、この両輪が成り立ってこそ質の高い保育ができるのです。子どもは見守れるけど、保育者は見守れないという理論は成り立たないのです。職員同士が本当の意味で仲良く、相手を認めつつ、心ひとつにその園の保育理念を中心に、明るく楽しく働けている園が、子どもを見守っている園です。
子ども主体・子ども中心の見守る保育が発展していくと、保育者の主体性もプラスされたダイナミックな保育へと進化・深化していきます。保育者が子どもの興味・関心、不思議がっていることを観て意図的にヒントを与えますが、それが正解かどうかは子どもの姿を観なければ解りません。子どもが保育環境に自発的に働きかけて、さらに遊びが発展し続ける人的環境に自分がなっているか、遊びを制限している自分ではないか、時間を制限している自分ではないか、スケジュール通りにこなそうとしている自分ではないか、子どもが楽しがっていることを楽しめている自分でいるか、このような視点が保育者として最も大切なことです。このような保育が展開してく基礎として、おおむね2歳児までの安心・安定した養護・教育があってこそ、おおむね3歳児以上の子どもは自発的に没頭して探索活動が行えるのです。「安心と没頭」がキーワードです。
子どもは常に、発達、成長、改善、改革、チャレンジし続ける存在です。現時点で世界が目指している保育の高み・究極は、いわゆる「プロジェクト型保育」で、子どもと大人が共に探索活動を展開する保育です。あらかじめゴールが設定されていない保育、大人都合のカリキュラムを達成しようとせず、子どもを子ども扱いしない保育、子どもの人権尊重を根底にしています。子どもの探求心がどのように展開していくか事前に保育者同士で展開予想ブレインストーミングをして、フローチャート風に書き止め見える化しておきます。保育者が予想した展開と子どもの発想が一致することもあるでしょう、予想をはるかに超えた子どもの展開は赤字等で記しておくと保育の軌跡・奇跡がたどれます。子どもと保育者は同等で、子どもの探求心・大人の探求心は共に尊重されますから、園内の保育環境だけでは探究活動が満足できないことが起こってくるでしょう。
その時こそ、子どもと一緒に園を飛び出して、地域・社会で探索活動をするのです。単に公園に散歩に行くなどという園外活動レベルではありません。確固たる目的と意思をもって園外へ出向き、本質・本物を求めて地域の人たちや店舗、工場、自然環境などから学ぶことで興味が広がり深まっていくのです。このような子どもの探求心を満足させるために、保育者は子ども以上にそれを探究する意欲のある人でなければ保育が停滞し、子どもに発達を阻害する保育者になってしまいます。新しいことを受け入れられない、チャレンジしたくない保育者は、子どもや周りの保育者にとってどんな存在になっているか、内省してみることが大切です。明日も子どもと共に楽しめる保育をやってみたい、と思いながら一日を終われる保育者であり続けたいものです。
今月ある高校の卒業式に参加し、校長先生から教えて頂いた言葉がとても参考になりましたので紹介します。
★仕事(ワーク)の4段階
○第一段階は、食べるために働くレベル、これを「ライスワーク」といいます。
○第二段階は、石の上にも三年、仕事が面白くなってきます、これを「ライクワーク」といいます。
○第三段階は、その仕事をすることが自分の使命だと思え一生の仕事と思える、これを「ライフワーク」といいます。
○そして第四段階は、仕事を通して地域・社会に貢献奉仕し周りを照らしていく、これを「ライトワーク」といいます。
社会人・職業人として今の自分はどのレベルなのか、省みる尺度になる重要な言葉です。目指すは第四段階、高次元のライトワークです、おそらくこの次元の人は、自分で生きているのではなく、おおいなるものに「生かされている」、働いているのではなく「働かせていただいている」という感謝の日々の境地だと思います。来月から佼成病院に勤務することになりますので、職場・地域・社会に貢献奉仕できる「ライトな存在」でありたいと思います。
おかげさまで15年間、佼成育子園で働かせていただきました。
その間お世話になった、杉並区役所、杉並区私立保育園連盟の皆さん、新宿せいが保育園の藤森園長先生、カグヤの野見山社長さん・クルーの皆さん、GT園の皆さん、保育関連業者の皆さん、法人本部、保護者、子どもたち、我が家族。
そして最後に、遊び心満載の職場で共に学び、共に楽しんだ育子園の職員とそのご家族に感謝を申し上げて、筆を置きます。皆さん有難うございました。 合掌
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ