子どもと対話する保育は記録がいのち⑥
2013年08月26日 月曜日
『子どもたちが発達していくということは、一人ひとりの子どもたちが、自分の中にかけがえのない「自分」の物語を創り出すことです』
たとえば運動会の取り組みという活動の中でもAちゃんの物語、Bちゃんの物語は個別にあるのです。
記録の書けない保育者が多いのも現実ですが、
①実践のセンスは優れているのに、記録する段階で忘れてしまう人は、実践しながらメモをする習慣をつけることです。
②実践を記録する、日本語能力に問題がある場合は、シナリオ型保育実践日記として、
(A)その日の保育において面白いと思ったこと、不思議だと思ったこと、発見した事実を書く。子どもの言葉、しぐさ、行動と保育者の行動、言葉を書いていきます。
(B)タイトルと付けましょう。理論理屈を一行で付けましょう。インデックス、シンボル。
(C)保育者の率直な感想を書きましょう。答えは出さなくてよいのです。
③実践のセンスが悪いから、実践のポイントが解らず、記録のポイントが見えない。新人はポイントが絞れない保育者が多いのですが、何年経っても同じようなことをしている保育者には、書くポイントを示してあげることも必要です。
レベルの高い保育者は、子どもの発達におけるトラブルを余裕を持って見守れる保育者です。余裕があるときは保育者は多弁でなくなります、間接的指導といいます。トラブルがあることで子どもが発達していると見えること、子どもは大人に説教されて育つのではなく、自分自身が気づき発達していくものだと信じることです。
J.J.ルソーはエミールの中で「教育を成功に導く唯一の方法、それは何もしないで全てをやり遂げること」保育者が偉そうに説教したり、強制させたりすることではなく、保育者がわざと気づかないようにしたり、答えを与えないことこそが教育が成功するというのです。
納得しない知識は意味がないのです。
子どもが面白がっていることを保育者が見つけて、子どもと一緒に保育者がとことん面白がることです。面白がっていることを増やすこと、楽しむことで嫌なことと向き合える子どもになることを信じていくことです。子どもが成長しようとする営みを、保育記録として紡ぐことを続けていると保育という仕事はどんな仕事よりも面白いものになっていきます。このような実践を続けていると、書くことが面白くなり、誰かに読んでもらいたくなります。保育を面白がる保育者が増えること、保育現場の保育者同士が研究成果発表会を実践記録を基に行うと良いでしょう。(文責:園長)
先生のお話を伺って、余裕がある保育者は子どもとの距離感を適度にキープできて「見守れる」ということの再確認、余裕がないと口出しをしたりするのす。子どもの課題なのに保育者自身が解決しなければいけないと勘違いするのも、距離感が近い時なのです。一生懸命になればなるほど、そのような傾向に陥りがちです、育子園の職員朝礼で唱和している、「時間の余裕、心の余裕を持つ」ことです。
ある日のことです、園庭に新設した築山の頂上で年長女児と年中女児がお互いの気持ちを解って欲しくて口論していましたが、保育者は少し離れたところから余裕をもって見守っていました。2人による大人顔負けの長時間論戦とそれを見守る保育者を見ていて実に頼もしいと思いました。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ