2013欧州で保育を学ぶ旅⑦
2013年06月27日 木曜日
ピストイアの保育・教育環境は、単に子どもたちのためではなく、全ての人が楽しむために考えられ設計されています。単に子たちのことだけに夢中になって大人が自己を見失うことがなかったという事実です。すなわち、ただ子どもたちのニーズを理解し解釈しようとしただけではなく、彼らが育って欲しいと望む子どもたちの周囲の大人のニーズにもこたえようとしました。この点からもっぱら、子どもに関する教育心理学的な材料における能力開発に限定せず、教師たちの知的情緒的エネルギーを評価してきたのです。
教師の独自の創造的な知識を繰り返し評価します。芸術の才能や自然に対する愛情や読書に対する愛好を持つ場合、教師は誰でもそれぞれ、それらの傾向が評価され、それらが貴重な財産であると見なされます。教育事業をこのようにもっと広げて解釈することで、保育園・幼稚園が、教師たちが彼らの異なった活動のための特別の使命を果たす場になり、大人と子どもの両方を重視する我々の教育プロジェクトにふさわしい環境が作り出されました。
イーグル・ベッキー(Egle Becchi) は、ピストイアのこの子どもに対するサービスを説明するのに、「趣味の良い教育」ということばを使いました。
「良い趣味」は、特に結実及び成長を奨励するという我々の教育の方針を評価したことばです。
このことばに達成された事柄を明らかにし、どこで行為が隠されなかったか、どこで行為が私的なものにならなかったか、を示そうとするわれわれの方針、参加したり手助けをしたりする者が誰でも経験でき、観客も役者も同様に役割の区別なく関わることができるわれわれの方針、が表現されています。
確実な教育は、それを経験したりそれに参加したりする人々を豊かにし満足させるが故に、成長を促進する美的経験と大いに共通しています。完全なことが利益になるような経験に参加することで、大人も子どもも新しい能力を用いて、有益で満足するような再創造行為を可能にする状況を、共に作り出し楽しむことができます。
今後の課題は、大人と子ども、コミュニティとサービス、学校と家庭を結合しようとしてきた企画をさらに明確にして完成させることです。それが可能なのは、分かち合ったり認め合ったりすることが価値をもち、ケアしたり歓迎したりすることが積極的な意味を持つ場合に限るとしています。しかし、これが可能になるまで容易ではありませんでした。20 年にわたり続いたした共同作業でも、なかなかここまできませんでした。長期間にわたるこの持続的な共同作業は、イタリアでは、普通あり得ないことでした。
コミュニティーと教育サービスの関係に基本的に基づいているこの教育サービスは、効率的なコミュニケーションの手段を必要とします。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ