2013欧州で保育を学ぶ旅④
2013年06月24日 月曜日
イタリア・ピストイアの保育・教育は、イタリアが経験した活気に満ちた時期の様相と重なり合います。この経験は、変化の可能性を実感した教育機関によって、また先生たちと親たちと社会の三者の間の協力関係によってもたらされた経験であり、一回限りのものでありました。この時期は、教育サービスに対する協力モデルの基礎を確立するのに決定的な年月でした。
1980年代になると、あらたな局面がおとずれました。心理学的研究、教育理論的な研究が中心にすえたあらゆる事柄に、注意が払われることになったのです。保育園、幼稚園、そして様々な教育プロジェクトが美しく飾り立てられ、教師たちは自分で、子どもの周囲に学べる環境をいかに作り出すかに、より集中できるようになりました。
空間の質への投資が、徐々にはっきりした形を取りサービスはより魅力的に、より考え抜かれ、より可能性のあるものになりました。
しかしながら、1980年代は財政的にも規則による制限からも困難な時代であり、多くの地方議会がこの時期にこの企てを中止せざるを得ませんでした。その中でもピストイアは持続的に努力を重ね、文化に根ざすことが重要であるという事実を確認し評価する結果となりました。
これは市の政治を司る知事と日々教育を実践している教師の双方による企てのあらゆるレベルで起こっていたことであり、この企ての価値についても同様でした。しかしながら、それは、現在行われている事柄を、単に維持し完成し例示することにとどまりませんでした。その努力はまた、「良いもの」にとどまらずさらに「素晴らしいもの」をめざす、積極的な不安定とでもいったもの、刷新に対する欲求とでも呼ぶことができるものでもありました。
ピストイアの経験がもつ力は、保育園、幼稚園、子どもたちのワークショップのような、教育学上のことばで言えば、「異なる潜在能力を持ち、全てが刷新されることをめざしている様々な活動」を、いかに有効利用できるかにあったのは明らかです。
ネットワークの中では、各要素がそれぞれ重要性を持っています。それぞれが互いに大きく利益を得るように、都市の子どものための他の自発的活動ともつながり、また利益を得ることができるのです。様々なサービス活動を行う中で、価値と資源とを結びつける存在であると認識します。この様々なサービスによって、共通の計画に属しているという感覚をもつことができるのです。この活動によって、先生たちと親たちの間、子ども同士の親密さと団結という神経組織を支える、一つの実体が作り上げられるのです。
この理由のために、さらには革新的経験の豊富な遺産があるために、1990 年代になってもピストイアは、社会的状況が明白に変わっていったにもかかわらず、変化に押し流されることはありませんでした。全国レベルで子どものサービスに関する社会的変化の組織モデルが注目され始めました。そして、このことによって子どもが生活する家庭と学校という従来の制度が、もっとはっきりしたかたちで、相互に連結される必要があるということが明確になっていったようです。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ