2013欧州で保育を学ぶ旅⑧
2013年06月28日 金曜日
乳幼児保育・教育実践を体系的な文書を作成し評価することは、幼児期教育実践家の職業意識を維持し続けるための強力な手段です。特に保育者の反省を維持し、分担作業を支えることになる文書作成の必要性を維持していく際に、いかに同僚間の協議が重要であるかを明らかにしています。
文書を書いて残すことは正しい選択で、書くことで日々の活動で観察されてきたことの話が残り、グループの話し合いの材料となり、反省を共有したことの証拠となるのです。保育者が書くことに不慣れな場合も、文書作りの手段は依然として有効です。ピストイアの保育実践家たちの新たな文書作りの手続きは、乳幼児が体験し成長するその過程・意義・を目に見えるものにし、保育者が反省を実行し共有するための安定した枠組みを提供することを目指します。
しかしながら、文書(作り)の手続きがこの役割を果たすためには、あくまでもそれら文書手続きが保育者に共有されること、一方的でなく共通の反省を引き出し、計画を分担するためにそれらの文書が使用される限りにおいてです。週間レポートを書き分析することは、その文書作りのリズムが保育者たちの組織活動と両立し得ると判明したので、ピストイアでは仕事の最中にも文書作りが行われました。
さらに重要なことには、これらの文書作りが、保育者たちが集まって情報・判断・意志を共有する機会を与えたので、同僚間相互の関係を強化したということです。このことによってリズムと形式ができこれが直ちに実りある結果を及ぼしました。経過報告書(プロセス・レポート)を書いたり問題にしたりすることはもっと簡単です。経過報告書を書いたり問題にしたりする期間を延ばしたりレベルを上げたりすることで、反省が生まれました。
他の同僚と反省の過程を共有することが、この困難な課題と取り組む最善の力の源であるということは注目に値します。ドキュメンテーションプロセスは、質問で始まり、一周していきます。 保育者は、どんなに経験豊かであっても、グループの子供を一人一人観察することが質問に答えるのに役立ちかつ必要である、と認識します。
ドキュメンテーションプロセスは、子どもの考え方と学習についての調査から始まる一連の調査にその観察を位置づけ次の段階を改革し一歩進む一方法です。質問は、本物の質問であるべきでありまた追求可能なものであるべきです。良い質問は、しばしば、次のような言葉で始まります――「私にできることは?」「どうしましたか?」
追求可能な質問は、しばしば次のように始まります:
1)どのようにすれば、スージーは、午前中に楽に移行を経験することができるのか?
2)どのようにすれば、リリーは、ものまねごっこにもっと夢中になるのか?
3)どのようにすれば、リナルドーの花に対する関心を維持することができるのか?
4)どうすれば、私は、ヤン・シムがスムースに昼寝に移れるのか?
5)マークやマリアがおもちゃをめぐってけんかしているが、私が割って入るとどうなるか?
質問の中には、教師が問いかけるにはあまりにも広く、それらが問われ得る前にさらに磨きをかける必要があるものもあります。ここにいくらかの例があります。:
1)移行する最も良い方法は、何であるか ?
2)なぜ、この教室には、こんなにも泣き声が聞かれるのか?
3)どうしたら私は子どっもたちが、たたいたりつかみかかったりするのをやめさせることができるのか?
適切な質問を確実に発して後、保育者はそれに対する答えの証拠を集め始めます。この種類の証拠を、未加工のドキュメンテーションと呼ぶことができます。なぜなら、それは、公に供されるものではないからです。ドキュメンテーションのサイクルのこの最初の部分で、保育者は観察者 の役割を果たします。それから、個々の子どもについてあるいは小グループの子どもたちについて、彼らの観測を文章にして分類します。
子どもの遊びと社会的相互作用 の視覚的な記録や書かれた記録は、注意深い技術や道具を用いて (例えばカメラ、テープレコーダ、ビデオカメラ、ノート、及び、鉛筆、コンピュータ等を使って)、集めることができます。このように重要な瞬間を記録したり、特別な教育体験につながっていく出来事を記録します。保育者たちは集められた記録を研究し、それらが何を意味するか、そしてそれらが次の段階でどのような意味を持つか検討します。
子どもたちは、何をしていたのか、そして、子供たちの動作は、どのように解釈されるべきであるのか ?例えば、その子どもがゆっくりと眉をひそめて動いていったならば、その理由は、彼が思案に暮れ疲れ混乱しているからなのです。その幼児が「アップ、アップ: Up! Up!」と言ったならば、抱き上げられ抱き締められ、窓際まで連れて行ってもらい外が見たいからなのです。
別の人に討論に参加してもらうことは、それが別の保育者であろうと助手であろうと親であろうと管理者であろうと、常に価値があります。展望を共有して他人の質問や解釈によって学ぼうとする意欲と同様に、科学的なもしくは分析的な姿勢を必要とします。子ども一人ひとりに対する観察と反省するサークルは、広がっていきます。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ