自分のしたいことができる環境
2013年01月30日 水曜日
育子園の子どもたちは、園舎内や園庭などで嬉々として遊んでいます。たとえば表現の絵画・造形ゾーンではさまざまな素材を試して没頭しています。絵を書きながら、登場人物になり切って喋ったり、電車の走る擬音を発しながら自発的に描きます。子どもは生まれながらにして学ぶ力を持っていると言われますが、子どもは自分に従うものとも言えます。自分に従うということは、自分のしたいことを勇猛果敢にやってみるということです。子どもはできなことを学んでできるようになるのではなく、自分に従うことによってその子どもが持ち備えて生まれたものを開花させているのでしょう。
絵画・造形なども子ども自らの意欲と感性に従って没頭できる環境を保障することです。書き方を教え込み、出来栄えを評価するという力や形を学ばせることではありません。たとえば、ある仏教保育園では仏教三大行事などの花、果物、お菓子などのお供え物を子どもたちが紙や空き箱、粘土などを使って作ってお供えしています。想像力をはたらかせて、みほとけさまに喜んでいただくことを考えてくれるそうです。
子どもにとっては、自分の周りにあるモノは全て造形活動などの素材です。園長室に来る子どもの中には、「使わなくなったものはないですか」と尋ねてきます。大人にとって壊れたり必要性が無くなったモノも子どもにとっては宝の山なのです。高価なモノや売っているものではなくても、自然の中や日常生活から出てくるものがたくさんあります。欧州の保育園や幼稚園に行ってみると、園庭や公園から拾ってきた素材、家庭で使わなくなったモノが一部屋に集められて、素材倉庫兼研究製作ゾーンになっているのです。素材の量は余るほど用意してあり、様々な素材を見て、触って、選んで、自分に従って作り込んでいます。そして仲間が作ったモノも参考にしながら発展させていきます。
保育者の役目は、子どもたちが望んでいる素材や保育者が面白いと思う素材を用意し、子どもが自ら取り組んで作り上げていく過程を見逃さずに観察記録することです。成果物よりも作っている過程が重要だというスタンスで見守ること、造形は机上だけではおさまらないこともありますから寝そべったり、立って作ったり、全身を使って取り組んでいる姿を大切にしてあげること。一日では達成できないようなモノづくりもあるでしょうから、途中の状態で保存でき他の日に続きを作れる環境も必要不可欠です。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ