行事は終わった後が大切
2013年01月10日 木曜日
昨年末のクリスマスお楽しみ会で行った、劇遊びは本番当日が過ぎても普段の遊びの中で継承されています。年長の子どもたちが自分たちで配役を選択して楽しみながら取り組み、発表当日を迎えました。
その過程を3、4歳児が観察していて年末まで毎日のように曲を口ずさみ踊っていました。そして1月になっても、子どもたちのリクエストでそうしてもホールの舞台でやってみたいということになり、3~5歳児グループが役を交代しながら演じています。
年長の子どもが教える立場になって伝えている場面など、異なる発達過程の子ども集団だからこその情景です。
このような保育の展開こそ、理想的な子ども主体・子ども中心の実践だと確信しています。以前にもこのブログで記したことがありましたが、ある園では行事が園のいのちで、大人主導で寸分の遊びも無くキッチリ行っていました。特に発表会と運動会は職員の力の入れようが猛烈で、練習期間になると園中が張りつめた雰囲気になるのです。出し物は他のクラスに負けないモノを保育者が設定し、来る日も来る日も練習に明け暮れます。その期間は自由な遊び時間はほとんど無く、スケジュール通りに出し物を仕上げることが目的で、豪華な衣装は保護者に製作をしてもらい、保護者の衣装の出来栄えも評価されるのです。
そして本番当日、猛練習の成果があって「見た目」は大成功に終わりました。そして、翌週明けには担任が疲れて休んでしまったので、他の保育者がそのクラスを担当しました。保育者は発表会で上出来だった出し物を、もう一回子どもたちにやってもらいたいと思い提案しました。
子どもたちは何と言ったかというと、「あれはもうやりたくない!」。
保育とはいったい何のか、本当に考えさせられる事例です。数か月間の特訓は何だったのでしょうか。担任も疲れ果て子どもたちは出し物を思い出したくもないのです。誰のための発表会なのでしょう。
大人主体・大人中心の保育を行っているとこのような結果が待っているのです。
数か月間の特訓中に、子どもたちは劇の振り付けや歌は一時的に記憶したかもしれません。しかしその記憶はすぐに消え去っていく記憶のようです。なぜならば楽しいとか面白いからやってみよう、覚えようということよりも発表会当日から逆算したカリキュラムを保育者から指示されて練習させられていたからです。
人間が何かを覚えるのは、楽しいとか嬉しいと感じる「情動」の働きにより、それを深く刻み覚えるのだそうです。楽しいと感じるのは他人ではなく本人ですから、本人の情動が働かなければ無理ということです。学習における記憶も、まさしく情動で行われているというのです。
育子園のクリスマスおたのしみ会が終わってからの事例は、年長が情動で楽しく取り組んでいた劇遊びを観察していた他の子どもたちが、楽しそうだから自分もやってみたいという情動が働いて、舞台で発表するまでになったのでしょう。誰かにさせられているのではなく、自ら行っている子どもたちの表情や身体表現は本当に活き活きとし、見ている周りを楽しくさせてくれます。
子どもと保育者にとって、情動が源になっている喜びは本質的な喜びといえます。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ