「いただきます」は慈しみの言葉
2013年01月04日 金曜日
東京仏教保育協会の研修で保育と食事について学びました。
食事をするときの「合掌」は仏教のスタイルではなく、釈尊誕生前からインドで行われていた敬礼法です。食事は尊いかけがえのないいのちを奪って生きのびる人間が、「いのちをいただきます」ということなのです。
一休さんは食事をする時に、「あなたのいのちを無駄にしません、私が仏になってあなたのいのちを生かします」と唱えられたそうです。
海の魚の気持ちを詠った、金子みすゞさんの詩を紹介します。
『大漁』
朝焼け小焼けだ、大量だ。
いわしの大漁だ。
浜は祭りのようだけど、海の底では何万のいわしのとむらいするだろう。
『お魚』
海の魚はかわいそう、
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われている、
鯉もお池で麩を貰う、
けれども海のお魚は、
何にも世話にはならないし、
いたずら1つしないのに、
こうして私に食べられる、
ほんとに魚はかわいそう。
食べられるため、殺されるために生まれてきたいのちはありません。いのちは皆生きるために生まれてきたのです。でも、私たちはいのちを奪ってしか生きることができません。その慈しみに…私たちは、「いただきます」と手を合わせるのは人間として至極当然のことといえます。
育子園ではみんなで合掌して、「みほとけさま、自然の恵み、多くの人に感謝して、いただきます」と唱えてから食事が始まります。この短い食前感謝の言葉には、天地、大自然、食材のいのち、多くの人々の労働や配慮、あらゆる関わりが、目の前の一食の中に込められていることを毎回確認できるのです。自分ひとりで作り上げることなどないのですから、そのことを知り、感謝する気持ちが自然とわいてきます。
食べ終わると合掌して「ご馳走様でした」と言いますが、多くの人々やモノが馳せ走ってくださったおかげさまで頂戴できました、という感謝の意味が込められています。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ