子ども同士のトラブルは見守る
2012年12月11日 火曜日
11月1日の読売新聞朝刊に教育ルネサンスいじめと向き合う『幼児 けんかで成長』という記事が掲載されていました。記事は大阪府にある「つばさ共同保育園」の保育者ができるだけ子どもを「見守る」方針が、育子園で行っている子ども主体・子ども中心の見守る保育と重なるところがあったので、園内の各クラス・グループに配布して職員同士で再確認しました。
記事では、園庭で4歳児の子どもたちが遊んでいて、キックスケーターを乗り回している大柄な○○君に、細身の□□君が何度も「貸して」と食い下がるも、突き飛ばされます。保育者は少し離れたところで見ています。やっと譲ってもらい満面の笑みの□□君に男性保育者は「よかったなあ」と声をかけ、○○君にも「貸してあげたんや」と頭を撫でた。という場面や5歳児の△△ちゃんが遊びの輪に入ろうとして、女の子たちに断られて泣き出したので保育者が尋ねてみると「断られるより、みんなに一斉に言われるのが悲しい」、女の子たちは涙の理由を聞いて神妙な表情になり「これからは1人づつ話すようにするね」と約束しました。保育者が仲良く一緒に遊びなさいと仲介しても解決できないのです。という日常の保育場面が載っています。
子ども同士のケンカやぶつかり合いは成長のチャンスという基本的な考え方で、大人がすぐに仲裁すると守られる側とたしなめられる側となって、子ども同士の人間関係がおかしくなるのです。乳幼児期に対人関係で悩む経験をすることが重要で、問題を起こす子どもはこうした体験が抜け落ちています。仲良くしたいのに叩いてしまったりするトラブルは日常的に起こるものです。子どもが気の済むまでやらせて考えること、お互いの気持ちを理解し合えるまで、子どもだけで話し合わせたりすることを行っています。
この記事は子どもは何のために子ども集団がある保育園に来ている意味を再確認できます。保護者が仕事などの理由で育児ができないから園に来ているというのは理由の一つでしょう。これは大人都合の見方にすぎません、実際に園に来ているのは子どもなのですから、その子どもが園に居る目的を明確にしておく必要があります。その最大の目的は、対人関係を体感することでしょう。
園の中で体感できる楽しいことや悔しいことなどは人と人との関係によって発生しているモノがほとんどです。子ども同士の関わりの中で自分の思い通りにならなくて悔しがったり悩んだり、喧嘩、トラブルが発生します。それを避けたいのであれば、一人づつ子ども部屋で生活させ他の子どもと関係性を持たせない環境にすることになりますが、そのような環境下では子どもの発達は精神的・身体的両面で大幅に遅延していくのです。子どもがトラブルを起こしそうになるとすぐに保育者が制止する園もありますが、最大の理由は怪我をすると保護者への説明が大変だからというのです。
他の子どもと一緒に居るからこそ体感できることを取り除く権利は誰にもありません。おおむね6歳になると、子ども同士の集団意識が強くなり、大人には内緒にすることや子ども同士の秘密を共有できるようになっていきます。こういう時は大人は「見て見ぬふり」をすることがたいせつです。
いずれにしても対人関係の悩みは、その子ども自身の悩みですから保護者や保育者が取り除いてあげることはできません。子ども自らが時間をかけながら他者理解をしようとし葛藤している姿を応援することです。
バーチャルゲーム上で安易に他者傷つけたりすることと、実際に取っ組み合いのケンカをして体感する痛さや辛さは全く違うものです。そこには自分の感情と相手の感情が存在し、自分ではどうにもできないこともあることを実体験できる絶好の機会なのです。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ