欧州で子ども主体の保育を学ぶ旅28
2012年10月29日 月曜日
ピストイアとレッジョ・エミリアを訪問して、その保育理念と実践を学んで感じたことは、
④保育者は「子どもに答えを与えない」という考え方を基本にしていることです。答えを教えるのは簡単なことかもしれませんが、教え・与え続けていると子どもはいつまでも、どこまでも答えを求めにきます。やってあげることが好きな保育者はこの仕掛けに気付かず、自分のことを頼りにしてもらって嬉しいと感情的に思うのでしょう。このように感じている人や時には、保育者は自分が何のために配置されているのか、再考することが賢明です。保育者は子どもの代わりをしてはいけないのです。
答えを与えないこと、答えは子ども自身が自ら導き出すものです。課題は子どもの中にあるのですから、その最善の答えは課題を抱えている人にしか導き出せないのです。レッジョで行っている保育時間中のやり取りを録音して後日振り返ることは、とても有効な方法だと思います。後で振り返ると保育者のほとんどは「あの時、口出しせずにいればどんなに良かったか」と感じ、赤面することがレッジョでも沢山あるそうです。
これは保育者同士にも当てはまる事柄で、相手にはヒントを与えるだけで良い場面が多々あります。園の理念から考えてみるとどのように取り組んだらよいか、というヒントが鍵となって自らの力で探索活動が始まるのです。相手の考えを聞いてからどんなヒントを与えるか、答えは相手の中にあるので、たとえ自分の意に沿わない答えであっても理念の範囲内であれば良いのです。人は相手の話を聞きながら、すでに自分なりの答えを考えていることが多いので、よほど気をつけなければならないことだと思います。
子ども一人ひとりは自分の個人的な興味について学ぶ権利があります。ピストアもレッジョも、子どもは簡単なことから難しいことへと進んでいくのではなく、年齢で限定せずに子どもに全ての保育素材を提供することを大切にしています。そして最も特徴的だったのは、子どもの発達に応じた玩具や備品を用意するという発想ではなく、興味を引くようなモノも用意しておいて、その中から子どもが発達に応じて、選んで遊ぶという考え方です。とかく日本では何歳児用の○○という考え方が主流ですが、光のアトリエは同じ素材で乳幼児から大人まで楽しく遊び、学べるのですから何歳用という発想も刷り込みなのかもしれません。同じものを見聞きしても、人それぞれに感じ取るものは違って良いのですから、遊びの展開も相手任せということなのでしょう。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ