欧州で子ども主体の保育を学ぶ旅27
2012年10月26日 金曜日
③子どもの人権・権利を最大限保障し、子どもの持ち味を引き出す保育を展開している点です。その取り組みの一例として、子ども主体の保育を高めるために子どもと保育者だけという狭い発想でなく、たとえば芸術家などの秀でた感性の持ち主を保育現場へ配置しているのです。それを特化させたのがレッジョのアトリエスタです。
保育者は子どもとの距離感が近くなる傾向にありますから、欧州の保育養成校で学ぶ「保育者はいかに子どもから離れるか」は常に肝に銘じる基本スタンスです。保育者と子どもが煮詰まらないためにも、たとえばレッジョのアトリエスタのような存在は保育者が自分の保育を見つめる、深める、見直す、ためにとても効果的です。アトリエスタはその分野の専門性を有したアーティストですから、そのことが好きでたまらない人です。好きだからその道を極められるのです。
これは子どもが遊びに熱中している時と似ていますから、子どもの気持ちや感覚が手に取るように理解できる人なのでしょう。一般通念では、どうせ無理とか、なんでそんなことをやるのか理解できない、などということを子どもは一生懸命集中して探索活動を行います。それを理解してくれる、理解しようとする人がそばにいることは子どもが自分の存在感を確認できる「鏡」なのです。時に鏡を確認しながら、さらなる探索活動を自らの力で行うことを保障されている環境は、歴史に残る偉人の周辺環境と重なるものがあります。
偉人は、自ら興味を持った事柄の探索活動をしていく中で、思いもよらぬ大発見・大発明をした人々です。そのことへの探求心、探索活動を諦めなかった人であり、周りの人々がそれを見守ってくれた人的環境や物的環境があったから諦めずにすみ、やがて偉人になれたのです。偉人伝は興味を持ったことをけっして諦めなかった人々の記録ですから、特に幼い時の読むと効果的です。凡人は環境に影響されて、諦めてしまうので偉人になれないだけのことです。全員が様々な可能性を秘めているのですから、子どもに対しても大人に対しても、肯定的な関係で探索活動を認めていたいものです。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ