欧州で子ども主体の保育を学ぶ旅26
2012年10月25日 木曜日
②「保育・教育は子どもの将来のためのものではなく、今現在を生きている子どもの存在が最も素晴らしく、それを大切にすることが保育・教育である」という基本的な考え方です。いわゆる日本で一般的に行われている育児や保育は、子どもは今から発達し成長して大人になっていく存在なのだから、幼い時期は準備期間として捉えて大人が育児や保育を提供する、という発想でしょう。この点が180度違うので、両者の実践は全く異なるものになっていきます。
子どもの可能性は万国共通なのに、大人の考え方とそれに伴う関わり方が真逆ほど違うのですから、子どもの発達にどれだけ大きな影響と差が出てくるかは歴然でしょう。
「子どもは今から発達し成長して大人になっていく存在なのだから、幼い時期は準備期間として捉えて大人が育児や保育を提供する」という考え方は、大人目線から子どもを見ているといえます。では、この見方を大人同士に置き換えてみるとどうなるでしょうか。たとえば、20歳の人は30歳になるための準備期間、50歳の人は60歳還暦を迎えるための準備期間…」となり、いつまで経っても「今この瞬間の相手が最高の存在だから大切にする」という見方ではないようです。
そのように見られているとどんな気分でしょうか、自分は未熟な存在、全肯定されていない存在だと感じ、おそらく良い気分ではないでしょう。このように子どもを準備期間と捉えて接する考え方だと、子どもは満たされた気分ではなく、常に次の発達を遂げるように急がされている気分になるのでしょう。明日の自分ではなく、今の自分を認めて欲しいと思うでしょう。これはこの時期に最も大切な自己肯定感が醸成されにくい関わり方といえるます。
「保育・教育は子どもの将来のためのものではなく、今現在を生きている子どもの存在が最も素晴らしく、それを大切にすることが保育・教育である」は、『いのち』という存在をどう捉えているかともいえます。『いのち』は今の一瞬一瞬を生かされて成り立っているのですから、この世に存在している人間、動植物、地球環境で「明日」を保障されているモノは何一つ無いのです。このように考えてみても、「子どもは大人になるための準備期間」という考え方は大人になれるという保障をされていないのに、準備するというのは成り立たないことです。無論、保育者は保育のプロとして子どもの発達過程を熟知したうえで、今のその子どもの発達過程にピッタリの日々の保育を行っていくことになります。
今の一瞬一瞬を大切にすることは、子どもと大人双方の権利を保障する保育になっていきますから、「大人主体・大人主導の保育は存在しない」というのが保育先進諸国共通の理念です。その考え方の大本は、「全ての子どもは自発的に学び、自ら成長しようという可能性を持っている」という絶対的な考え方です。「元来子どもは自発的に学ぶ力を持って生まれてきている、生まれてきてからその力を学ぶものではない」という捉え方です。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ