欧州で子ども主体の保育を学ぶ旅⑮
2012年10月09日 火曜日
講師さんは、レッジョではドキュメンテーション作りをとても重要だと考えています。ドキュメンテーションとは保育に関する資料を作ることです。このドキュメンテーションによって次のプロジェクトが生み出されるのです。これは大事なことで、通常のドキュメンテーションは年度末に職員が作成するのですが、誰かに見せるためにそれは作られます。これを年に何回も振り返ることによって、次の活動に必要な資料は前の資料の中から見つけるのです。
プロジェクトは子どもたちに継続的に提供するもので、プログラムとは反するものです。今後の予定を今決めるのがプログラムで、これは大人中心で考え決定することになりますから、子どもに意見は反映されません。ところがプロジェクト活動は、学び合うという双方向性が特徴です。プロジェクトは子どもを観察することから始まります。子どもが何を身につけたかよりも、どのように身につけたかが大切なのです。結果よりその道のり・プロセスがとても重要だということを保育者は常に認識することです。
『100の言葉』というのは100の表現力があるということです。学校は言葉を学ぶところではありません。大人の言葉を学ぶ場所ではありません。知識を学ぶより、他者とのコミュニケーションを高めることに意味があるのです。
保育者、教育者が実践現場で難しいのは大人が我慢すること、しゃべらないでいることです。たとえば子どもが話しかけ、尋ねてきたらてきたらすぐに回答・正解を教えたくなりますが、それは正しくありません。子ども自身が正解を探しに行く探求行動を援助するのが大人の役目だという意識を常に持つことそして実行することです。
ネット社会になり情報はいくらでも検索できます。子どもが自ら検索しよう、探したいと思う気持ちを湧き立たせる援助が最も大切のことです。知識に対する好奇心、ハングリー精神、世界の発明家は正解を求めたのではなく、それを探しに行っただけだという言い方もできるのでしょう。本当の研究者は大学の中に居るのではなく、本当の先生は子どもと接する現場の保育者・先生なのです。(文責:園長)
お話を伺って、大人目線で大人主導でプログラムを立てないことが子ども主体の保育の基本だということ。プログラムを立てるとそれに沿わせてくなり、予定どおりの内容を予定通りの時間内に達成させたくなるのです。そこには、達成させることが重要視されるようになり、それにたどり着くまでの道のりは軽視される保育になっていくのです。結果重視の保育は大人主導の保育であり、その時々の子どもの気持ちや表現は二の次になってしまいます。
さらに大切なことは、大人は答えを与えないこと、子どもが答えを自ら導き出していく援助者であり続けるという基本的考え方は、保育の主役は保育者ではなく「子ども」なのだという理念が貫かれています。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ