敗戦から学んだレッジョ・エミリア
2012年09月14日 金曜日
『でも、百はある。』
ローリス・マラグッツィ (田辺敬子 訳)
子どもには
百とおりある。
子どもには
百のことば
百の手
百の考え
百の考え方
遊び方や話し方
百いつでも百の
聞き方
驚き方、愛し方
歌ったり、理解するのに
百の喜び
発見するのに
百の世界
発明するのに
百の世界
夢見るのに
百の世界がある。
子どもには
百のことばがある
(それからもっともっともっと)
けれど九十九は奪われる。
学校や文化が
頭とからだをバラバラにする。
そして子どもにいう
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは
復活祭とクリスマスだけ。
そして子どもにいう
目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち
九十九を奪ってしまう。
そして子どもにいう
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にはならないものだと。
つまり
百なんかないという。
子どもはいう
でも、百はある。
この詩は現在、世界で最も注目され、高い評価を受けている北イタリアのレッジョ・エミリア保育・教育の創設者の一人であるローリス・マラグッツィによるものです。第二次世界大戦で敗戦し、二度と戦争は起こさない信念で未来の子どものための教育が始まりました。
子どもは無知で弱い者という考え方ではなく、大人が忘れ去ってしまった好奇心と無限の可能性の塊そのものです。それを観つけることができないで、その芽を摘んでいるのは大人ではないでしょうか…。
このように世界で最も子どもを尊重し社会の中心においている町、レッジョ・エミリア。その実際を体感し育子園の保育に活かすため、今週末からレッジョ・チルドレン主催の講義・実践見学会に参加してきます。来週はその様子を同行保育士と共に現地からリポートする予定です。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ