「すごいね、なんでもできるんだね」
2012年08月16日 木曜日
育子園では子ども主体・子ども中心の保育を行っています。これは子どもが自ら発達しようとする力を、大人は少し距離感を持って支援していく保育です。あくまでの相手が主体で、自分はサポート役に徹すること、達成できて喜んでいる相手を見て、自分が嬉しくなる方法ともいえます。
ある方から相手主体の実践をさりげなく行っていらっしゃる素晴らしい話を聞きました。
…今年5月の夕方、新宿で買い物をすませて、何時ものように永福町行きの京王バスに乗りました。その時間帯にはめずらしく、バスの中はすいていて、そして静かでした。私は右側の長いシートに座りました。
向かい側を見ると、黒い制服を着た男子学生がほどけた靴の紐を結び直そうをしていました。そのぎこちない様子から、何かの病気で身体が不自由な方だとすぐに気がつきました。窓の方に目をやると、銀色の歩行補助器具が立てかけてありました。
思うように手先が動かせない様子で、なかなか靴の紐を結べません。その日は雨降りだったせいか、バスの車内は薄暗く、そのこともますます結びにくくしているようでした。
彼の前の席には女の方が座っていらっしゃいましたが、振り向いて、その様子を見ているだけで、何もなさろうとはしていませんでした。「紐を結んであげればいいのに」と私は心の中で不満気につぶやきました。
まだ、靴の紐はなかなか結べません。
たまりかねて、「私が紐をむすんであげよう」と席を立とうとしました。
するとその瞬間、前の席で振り向いてずっと様子を見ていた女の方は、彼の制服のズボンの下の方を、結びやすいようにそっと優しく持ち上げられました。
私は思わず、息をのみました。「こういう優しさがあったんだ」
そうして、やっと彼は靴の紐を結ぶことが出来ました。
「すごいね、なんでもできるんだね」女の方はそうだけ言って、何もなかったように前の方に向き直られました。
ずっと様子を見ていた私に気がついたのか、彼は少しぎこちない表情でしたが、私の方を見て、一生懸命うなずいてくれました。
そのぎこちない表情は彼のとびきりの笑顔だと思いました。それは、靴紐を結ぶことが出来た喜びと自信、そして「ぼくはこうしていきているんだ」というメッセージのようにも感じました。
私の一生忘れられない出来事と、笑顔です。そして一生忘れない人間でありたいと心の中で誓いました。…
いかがでしょうか。2人の関わりをぎりぎりまで待つことができたことで、想像していなかった展開が見られたのです。自分一人の狭い価値観だけで日々の現象を判断しがちですが他者の考えを聞くゆとりや待つゆとりがあると、このお話ような高次元の相手主体の関わり方ができるのでしょう。このスタンスを保育現場でも忘れずに実践していきたいものです。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ