教育とは大人が教えること?
2012年08月24日 金曜日
首都大学東京の宮台真司教授は育児や保育で大切なこととして、「子どもは環境から学習するだけ」とおっしゃっています。子ども自ら環境に働きかけて学んでいくということですから、大人が教えるとかさせるのではないです。ちまたで保育園は「教育をしていない、子どもを預かっているだけ」と言われている根底には、何もわからない子どもに対して大人主導で教え込むことが教育だと思い込んでいるからでしょう。
保育園は養護と教育の役割がありますから、子どもが自分から遊びたくなる、学びたくなる遊具、用具、材料などを保育者が意図的に用意することが本来の保育環境設定(人的、物的など)です。大人目線で保育環境を設定したのでは子どもは興味を示しませんから、大切なのは子どもの発達過程に応じ、子どもが望んでいるモノをセッティングしようとする柔軟性です。子どもの興味や指向は発達とともに変化していきますから、その変化に応じてモノを変えていくことが必要です。子どもの遊びや生活を考える基本として、子どもの主体的な活動を大切にしている園は本当の意味での教育を行っているのです。
園では大人と子どもの関係、子ども同士の関係から相乗的に「真似ぶ」、「学ぶ」機会が沢山あります。自分より何かができる大人や子どもに憧れて、真似をすることから学びが始まっていきます。大人が学びなさいと言わなくても、子ども自ら成長したい学びたいという気持ちを持っているのですから、その気持ちが沸き立つ環境が必要なのです。そのためには子どもが選べる自由があるかなかいがポイントになります。たとえ様々な環境が用意されていたとしても、大人が遊びを指定するのでは子ども主体ではありません。子ども自身が選ぶことに意味があり、その中で課題発見や達成感、責任感が培われていくのです。
子どもの発達過程を近視眼的に見る大人は、同じ遊びしかしない子どもを見て心配になります。同じ遊びを繰り返せるということは、それに集中しているからで、大人から見ると同じことを繰り返しているように見えるのでしょうが、子どもはその遊びを集中して繰り返す中で変化させていきます。そしてある日突然、子ども自らその遊びを卒業して次の遊びに展開していきます。集中できることがある、モノがあることは発達にとってとても大切なことで、教科の学習の基礎能力を養っているのです。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ