異年齢で過ごすのは自然
2012年07月18日 水曜日
杉並区内のある認可保育園で3~5歳児の異年齢保育を始めたいので、育子園での取り組みを話して欲しいと園長先生から依頼されました。その園では開園時間から9:30ごろまで毎日異年齢で過ごし、朝夏期間を中心に異年齢で行っていて、異年齢の良さを体感しています。今後は異年齢保育を園の方針としていきたいと考えています。日本では異年齢と表現し特異な保育と感じる人もいるようですが、保育先進国では当たり前の考え方で子どもの発達過程に応じた保育という言い方の方がわかりやすいのでしょうか。
その保育園を訪問して19:00~20:30で学び合いの会を行いました。最初に育子園が何故発達に応じた保育を行うようになったのか、導入当時のスケジュール、導入前と後の変化などについて話しました。
認可保育園では2歳児は子ども6人に対して保育士1人の配置になっていますが、3歳児は20人対1人になります。生活の自立が進む子どもは保育者との関わりよりも子ども同士の関わりへと自然に移行していきます。多くの保育園で行なっている、年齢別一斉保育(クラスを4月現在の年齢で分け、クラス単位で一斉に保育する方法)は、一人ひとりの子どもの発達をとらえることよりも、クラス運営を中心とした一斉活動が優先になってしまいがちです。
子どもの理解度、習熟度とその時の気持ちを大切にすることが難しいこの方法は、世界的に見ると数少ない特殊な方法なのです。考えてみれば、発達差の著しいこの年齢の子ども達を、行政の都合で最大1歳(4月2日生れから4月1日生れの子どもの場合)の差を同じ年齢として、同じクラスにまとめて、「何歳クラスなんだから、○○をする(させる)」という保育は子ども主体が保障できません。
都市部でも昭和40年代まで、子どもたちは地域の人々に見守られながら、異年齢の子ども集団で遊びを通して様々な体験をしていました。その後急速に核家族化が進み、子どもの数が減り、特に都市部では地域の共同体意識が低下した上に、テレビゲーム等の影響もあり以前のような遊び方ができなくなってしまいました。
そういう環境の中で、生後6歳までの間に家庭や保育園で、大人が子どものためと思いながら、子どもに何かを「やってあげる」、「させる」、「教える」という過干渉がすすみ、その結果として保護者も保育者も望んでいない、大人依存で自己肯定感が持てずに自立できない子どもをつくっていると分析されています。そして、小学校では授業が成り立たない小1プロブレム(学級崩壊)へとつながっているのです。
話し合いの中では、子ども達は当たり前のように異年齢で発達に応じた遊びを選び、子ども同士が関わりながら過ごしていて自然ですが、大人主導の年齢別一斉保育しか知らない固定観念が強い大人の刷り込みをなくすこと、が最大の課題です。子どもが活き活きと楽しく過ごせる保育を行うためにも、大人が主導しない方が良い、さらにはクラスの壁が無くなるので職員同士の仲が良くなるという話し合いがされました。
このように世界標準の保育に変えていこうというエネルギーに満ちた職員さんとの学び合いは充実した時間でした。育子園にも職員さんが交代で保育体験にいらっしゃることも話し合いましたので、共に学べることを楽しみにしています。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ