江戸東京野菜栽培の伝道者
2012年07月19日 木曜日
江戸東京野菜の栽培をしようという話題が園の中で始まって約3か月が経ちました。担当職員がどうしたら園で栽培できるかを様々な方策で調べて、やっと武蔵小金井で事務局の方々に面会できました。
首都圏の市街化地域内においては、農地よりも宅地優先という昭和時代後半の施策により、農地には宅地並みの固定資産税を課しています。年々先祖代々受け継いできた江東京野菜などの栽培が激減し、食料自給率も国内最低レベルに落ち込みました。
平成になってから栽培継続や復活の取り組みが始まり、地物、気候に順応して脈々と伝承されてきた貴重なモノとして見直されるようになりました。庶民の食生活を支え続け、食文化を育んだ江戸東京野菜を守っていくことはゆっくりと時が流れていた悠久の時代からのプレゼントを大切にしていくことになります。
このブログで4月に記した、映画『よみがえりのレシピ』で江戸東京野菜を育子園でも育てたいと願った結果、7月になって園に江戸東京野菜の苗が届きました。三鷹市で農業をされている方がトラックの荷台に苗を積んで来園してくれました。東京の西部にある三鷹市で農家に生まれ、ご自身で4代目になるそうで約30種類の作物を育てていらっしゃいます。6、7月の農繁期は午前5時から午後9時まで15時間も畑に出て作業を行っているのだそうです。野菜の成長は待ったなしですから、人間が野菜に合わせて生活しているのです。
園に持ってきていただいたのは、「寺島なす」です。墨田区東向島はその昔、寺島と呼ばれていて、なすの産地として有名でした。寺島なすは鶏の卵くらいの大きさのものが美味しいとされ、なす特有の香りが強く、光沢のある黒紫色した実が特徴です。皮がやや厚めなので、皮付きのまま、天ぷらや炒め物に適しています。
年長の子ども達に寺島なすを育ててもらおうということになり、園庭に集まって栽培方法を教えてもらいました。水やりの目安を教わって、さっそくみんなで水やりをしてスタートしました。7月から9月ごろまで一本の苗からうまくいけば40個も収穫できるそうですが、当面の目標は20個を目指すことにしました。良い実が収穫できるように成長していく過程で茎を3本だけにしていきます。
このように現在まで伝承されている江戸東京野菜を、育子園で栽培収穫して調理保育で食せることは地産地消、子どもの嫌いな野菜のワースト1になってしまった「なす」、自分達で育てた寺島なすは味を子ども達はどんなふうに感じるのか楽しみです。今後も江戸東京野菜伝承の方々の指導をいただきながら取り組んでいく予定です。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ