人間として一番大事なことは、「選択できる自由があること」
2012年07月04日 水曜日
親が子どものために「よかれ」と思ってやっていることが、子どもにとってみると、とても嫌なことをされているということが多いのです。それは子どもの気持ちを確認せずに行っている親の自己満足、親の価値観の押し付けだからでしょう。
小学館の「edu]で元聖心女子大学の鈴木秀子教授が、ある親子の悲劇を記していました。
その親は、子育てに心血を注ぎ、思い通りに娘を育てましたが、順調だった子育てに異変が起こったのは小学校5年生の時でした。それまで元気に登校していた娘が玄関でぼーっと立ちつくし、「ママ、私、次は何をしたらいいの…」とつぶやき、その日から学校へ行けなくなりました。その後、マンションから飛び降りてしまったのです。半狂乱になった母親は私のところへ相談に来ました。「私はあの子のためと思って、あんなに一生懸命やってきたのにどうしてこんなことに…」、娘に対する恨み、悲しみ、苦しみをすべて吐き出すカウンセリングは数年間かかりました。
そして母親は語りました、「あの朝、次は何をしたらいいの、と娘に言われたとき、私は全身から冷や汗が出ました。あれは自分のしてきたことがいかに間違っていたかを、娘が自らの命を懸けて知らせてくれたのです。私の生き方は間違っている、人間の価値は人より抜きんでることや能力が高いことではなく、その人らしさを発揮して生きていくことなんだと、娘を失ってやっとそれがわかりました。娘は私にそれを伝えたかったのですね」
鈴木教授は、人間として一番大事なことは、「選択できる自由があること」。子育てにおいては、転ばぬ先の杖にと親が対策を講じることではなく、子どもの自主性と選択の自由を重んじることです。子どもの意思を尊重せずに、親が先回りをして解決することは子どもの生きる力を奪っているのです。子どもは自分の人生を自由に生きる権利を持っています。親はどんな時も、我が子の人生を見守る、灯台になってください。とおっしゃっています。
子どもは親の所有物でもなく、盆栽でもありません。縁あって親と子という尊い関係で存在しあっているのですから、世界中で最も尊重すべき人物なのです。親も子どもの誕生と同時に親になったばかりなのですから、子どもと親は同級生、先輩でも後輩でもはないのです。お互いに生きているだけで100点満点だったとわかるのが、そうでなくなった時にならないような親子関係でいたいものです。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ