社会福祉の制度を超えて
2012年07月25日 水曜日
全国保育協議会で日本における社会福祉の歴史について学ぶ機会がありました。
慈善事業者は法整備がされる以前から社会福祉的な取り組みを自費で行っていましたが、1938年に社会事業法が制定され制度化されました。それ以前は公金は注入されず、民間の自助によって成り立っていました。しかし、昭和不況のあおりを受け私設社会事業資金が枯渇しました。
これが現在18,000法人と40,000施設の原点です。社会福祉の原点は、純粋性と透明性、世のため人のために尽くすことです。
当時は社会事業を世のため人の為に尽力する法人と人々だけの純粋性公共性を高めようとしました。現憲法が成立する前、1946年に旧生活保護法が作られ、1947年児童福祉法がつくられ、12万人の浮浪児、孤児対策を行いました。さらに戦争による身体障害者対策として1949年に身体障害者福祉法がつくられ、福祉三法が立て続けに整いました。
しかし、方面委員から民生委員へ、宗教、教育、社会福祉は民間が自発的に行うものとしてGHQは公金を投入できる社会事業法を廃止しました。1949年には学校法人だけに公金注入を認めましたが、社会福祉事業を行う法人を規定する1951年に社会福祉事業法ができました。
社会福祉第2段階では、1960年に精神薄弱者福祉法、1963年老人福祉法、1964年母子福祉法をつくり、第1段階とあわせて福祉六法体制が整いました。ほとんどの法律で措置制度を導入し、限られた資源を公平に分配しました。高度経済化の日本では65歳人口が7%に達し、すでに国連が定めた高齢化社会が忍び寄っていました。
石油ショック勃発の当時、日本的男女分業が崩れ家族介護は崩壊し始めました。1981年国連はノーマライゼーション、障害者・老人の参加と平等が打ち出され、ゴールドプランやエンゼルプランなどが掲げられ、地域と社会福祉施設の垣根が低くなりました。1990年には老人福祉を充実させた福祉八法になり、高齢者介護の理念は高齢者の自立支援としました。さらに介護保険法により措置から契約へ移行し、2000年社会福祉法に改正されました。2003年には支援費制度、2005年障碍者自立支援法も導入されましたが、財源不足による社会福祉理念とのギャップが生じています。
社会福祉事業の始まりを思い起こしてみると、制度に束縛されない自発的な活動によっていたのですから、現在においても制度外の社会福祉活動を展開することが戦前の社会福祉先駆者達の心意気を継承するものと言えそうです。
全社協の「福祉ビジョン2011」には法律社会福祉の改革や社会福祉の将来像として社会福祉法人は今後、制度内の事業を着実に実施する役割でけでなく、本来の使命を発揮するために地域に生じてくる新たな福祉課題や生活課題に着目した公益的な取り組みとして、制度外の福祉活動を進めていく責任と使命があると提言しています。
10年、20年後の地域の姿を社会福祉法人がデザインすること、制度に縛られずに営利を追求せず、人が集い、助け合い、関わりが深まるアイディアを出していくことなのでしょう。法制度が確立していない時代に社会福祉を行った、先達の人生を学ぶことで今後の方向性が見いだせ、職員の意識向上に役立つことになると思います。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ