子どもは大人の先を生きる先生
2012年06月11日 月曜日
杉並区内の保育園園長同士で懇談をする中で目指すべき保育者の姿勢を話し合いました。
懇談では新たな試みとして、杉並区内保育園の総合案内ホームページを立ち上げて各保育園のホームページリンクや各種研修会等の発信を行ってはどうか提案しました、実現できるよう情報収集をしていきます。
ある園長の話が印象に残りました。「子どもは我々大人の先を生きる人ですから、子どもは先生(先を生きる)なのです」。また、「古い考えの保育者がトップに居ると、若い保育者はそれを超えられない」という言葉です。
各保育園の保育実践方式はそれぞれですが、子ども主体・子ども中心という理念は全世界共通です。
人類始まって以来、子ども学ぶとか子どもは大人の鏡と言われていますが、子どもは我々の先を生きる存在だととらえると、素直に率直に子どもの感覚の方が大人より先に進んでいるから大人は子どもに道案内してもらう存在と言えるのでしょう。道案内役の子どもに対して少し早く生まれただけの大人が自己都合で子どもに対して、ああだこうだと言うのはいかがなものでしょう。
そのことを裏づける言葉を3月の卒園式でも紹介しました。
それは小林正観さんの子育てに関する言葉です。
「子どもは親が教育をして育てるんだ」っていうふうに、ほとんどの親は、意気込んで頑張っていますけど、どうもそうではなくて、もうすでに子どもは自分自身のシナリオとしてプログラムを組んで生まれてきているようです。 子ども自身は朝顔の種のつもりなのに、親は「バラよ、咲きなさい」って一生懸命「バラよ、バラ」って念じてるんですね。
でも、朝顔の種ではバラは咲かないんです。その種でしか、その花は咲かないのに「種と違う花になりなさい」っていうのは、どんなに頑張っても、力を入れても、無理というものでしょう。
親にできるのは、その植物の鉢植えを枯らさないこと。周りの人間は、剪定作業をするのではなく、とにかく無事に育てるだけなんです。親は、子どもに食べさせること、身の安全を保つこと、生活に適した環境をつくること、そうした役割だけなんだ、ってわかってしまえば、すごく楽になります。(小林正観:楽しい子育て孫育てより)という内容です。
先生である子どもに対して大人がするべきことが明確に述べられています。大人が子どもを自分の思い通りにコントロールしたいという自己中心性を開放すれば親も子どもも楽になれるわけですから、とても参考になる話だと思います。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ