佼成育子園[こうせいいくじえん]-東京都杉並区

  • 佼成育子園 トップページへ
  • 佼成育子園 お問い合わせ
  • 報告書関係
  • 佼成育子園の理念
  • 佼成育子園のこだわり
  • 佼成育子園の給食
  • 佼成育子園から地域の皆様へ
  • 佼成育子園からのお知らせ
  • 佼成育子園について

佼成育子園前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ
バックナンバー
  • 2014年3月
  • 2014年2月
  • 2014年1月
  • 2013年12月
  • 2013年11月
  • 2013年10月
  • 2013年9月
  • 2013年8月
  • 2013年7月
  • 2013年6月
  • 2013年5月
  • 2013年4月
  • 2013年3月
  • 2013年2月
  • 2013年1月
  • 2012年12月
  • 2012年11月
  • 2012年10月
  • 2012年9月
  • 2012年8月
  • 2012年7月
  • 2012年6月
  • 2012年5月
  • 2012年4月
  • 2012年3月
  • 2012年2月
  • 2012年1月
  • 2011年12月
  • 2011年11月
  • 2011年10月
  • 2011年9月
  • 2011年8月
  • 2011年7月
  • 2011年6月
  • 2011年5月
  • 2011年4月
  • 2011年3月
  • 2011年2月
  • 2011年1月
  • 2010年12月
  • 2010年11月
  • 2010年10月
  • 2010年9月
  • 2010年8月
  • 2010年7月
  • 2010年6月
  • 2010年5月
  • 2010年4月
園のこだわり

謙虚に生きることを学べたプレゼント

2012年05月31日 木曜日

resize34505今年の保育理念研修の第1回目を5月の日曜日に行いました。日曜日の午前9時から午後2時まで、㈱カグヤのクルー4人がファシリテーターになって学び合いました。研修会の冒頭、恒例となった前年度の皆勤賞、精勤賞、特別賞の発表がありました。皆勤賞者の中には6年間、7年間連続で無遅刻・無早退・無欠勤の職員も発表されました。一日一日の積み重ねですが、なかなかできることではありません。私もれしいプレゼントをいただきました。見開きの色紙にギッシリと記された職員の皆さんからの寄せ書きです。「見守る保育」を実践して楽しい、有難いという感謝の言葉がたくさん寄せられていました。

職員皆さん一人ひとりの気持ちを受け止めて、心新たに謙虚に生きていくことを教えられたプレゼントでした。

 

午前9時から午後2時までの5時間の研修を振り返って参加者からは、

○みんなで子どものことを話したり、忙殺されていた日常を見つめなおす機会になりました。

○大人も自分のことを大切にして、子どもも大人もお互いに大切にしていける社会をめざしたい。

○子どものことを深く話せて、職員間のことを分かりえ前向きになれました。

○普段話せない職員と話せ、共感できたり新しい発見ができた、自分を変えるきっかけになりました。

○始まる前は5時間は長いと思ったが、じっくり話ができて聞くことができて良かった、学ぶことが沢山あった、相手を認めるためには自分を認めることが前提、相手のことを思って言動をすることを確認できました。

○見守る保育を初めて6年目、一人ひとり一生懸命にやっていることが確認できました。

 

コンサルタント(カグヤクルー)の感想は、

○人の話をきちんと聞く姿勢が印象的でした。

○一人ひとりを大切にができているのか不安を抱える職員に対して、その姿を認めている姿をが印象的で、自信持っていいと思いますよという言葉が素敵だったと思います。温かい雰囲気が醸し出されていると思いました。

○椅子に座る順番を生まれた場所順に決めでいたグループは、それだけで雰囲気が和らいで、打ち解けた雰囲気で話し合いが始まりました。取り組む姿勢が良い、現場主義で話し合えていたのが良いと思いました。

○日曜日に本気で子どものことを考え語っている園はないのではないでしょうか、人の聞く姿勢ができている点や一歩踏み込んでいる聞いている姿勢、豊かな時間を持てたと思いました。

○弊社のブログの管理をしていると、現場実践の様子が読み見える、理念があるから学び合える環境を実感できます。

○弊社での一番の一体感は毎朝行われるクルー同士の一円対話の時間、隠し事をしない、自分をさらけ出すという黄金ルールがあるので本音で話し合えます。

○やりがいを摘まないこと、社員同士が丸ごと信じあっていると、自発的な仕事が自然と造られていくのです。

 

それぞれの職員が大切な休日の時間を使って、子ども中心の保育を高めていくために集えたことは本当に有難いことです。園に関係している人々の自己肯定感が醸成される触れ合いをしていきたいと深く感じました。

 

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

世界の看護を学んでいる学生

2012年05月30日 水曜日

今週は5人の看護実習生が来ています。1日目は素のままで各クラス・グループに入ってもらい、2日目に育子園の保育理念を説明しました。最初に園で過ごした感想を一人ひとりに話してもらうと、同じ年齢でも子どもの発達がまちまちであることを感じました、子ども同士で物事を解決しようとしているところが印象的でした、普段は病院の実習が主なので元気な子ども達の姿を見て健康の有り難さを感じました。と話していました。

 

いつものように育子園ホームページの「園のこだわり」で日々の子ども達と保育者のエピソードを紹介しすると、毎日毎日職員が更新していることに驚いていました。園内には無線LANが設定されていること、さらにはデジカメで撮影したデータが自動的に無線でサーバのファイルに転送されていることを紹介するとさらに驚いていました。一見するとSDカードと同じ外観ですが、Eye-Fiという製品で無線環境があれば転送できるのです。育子園の園舎は≒2,000㎡で3階まで保育室があり、9つのクラス、グループにパソコンとデジカメがあります。自動的に転送できるようになって保育エピソード記録も楽になりました。

園運営に便利で活用できそうな情報を収集して導入するとさらに情報が集まってくるようになります。

 

5人の実習生は2人が保育園(途中から幼稚園)、3人が幼稚園に通っていたそうで自分が通っていた園と雰囲気がずいぶん違っていると感じているようでした。特に育子園では子どもが遊びを選択できること、給食の量も申告できることは新鮮だったようで、子どもの意思を尊重している保育の方法に納得していました。

 

保育理念の根本は、仏教精神を基盤とした子ども主体・子ども中心の見守る保育ですから、お釈迦様の教えにある、周りと調和してさまざまな違いを認めて保育を行っています。保育実践の基本は、大人は子どもの手本になることです。と伝えると、一人に実習生が1歳クラスで実習するときに、保育室内の仕切りフェンスを大人がまたがないようと教えられました。大人がまたぐと子どもも同じようにするので、手本を示すことを実践していたのだと今理解できました。と話してくれました。

 

育子園はいわゆる日本型の年齢別一斉保育を6年前に脱皮し、世界が実践し目指している方向の保育を行っていますが、看護の世界でも世界の看護を学んでいると実習生が話してくれました。授業で世界の看護を学ぶ時間があるというのは若い学生にとってとても効果的なことです。知人の看護師で海外の看護ボランティアに一生懸命励んでいる方がいます。地球の裏側にいる人々の健康に役立ちたいという高い意志はその人の生きがいなのでしょう。

 

コミュニケーションで相手に伝わる割合を示した、メラビアンの法則を紹介すると言語はたった7%しか伝わらないということに驚いていたようで、患者さんに接するとこも子どもに接するときも言葉より、態度がほとんどを占めているのでそこを大切にしていきたいと話していました。対人業種ではこの法則はとても大切なことで、第一印象でその人との将来が決まることもあるようです。

 

resize34500

 

 

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

日曜日に子どものことを考える仲間

2012年05月29日 火曜日

resize34501今年の保育理念研修の第1回目を5月の日曜日に行いました。日曜日の午前9時から午後2時まで、㈱カグヤのクルー4人がファシリテーターになって学び合いました。今年度の理念研修は3回とも日曜日に行います。各保育園で全従業員が参加するには休日しかないので、各保育園でも職員研修や会議を皆で一堂に会して行うのに苦労しています。

今回のテーマは、「一人ひとりを大切にする」です。様々な場面で言い尽くされた言葉ですが、子どもと保育者、保護者と保育者、保育者同士が関わる場面で瞬間々実践できるよう身に着けていきたい基本です。

 

研修前のアイスブレイクは60人の職員が輪になって一つのボールを手渡しして、時間を競うゲームを楽しみました。ボールを受け取った人は、両隣の人の名前と自分の名前を言って、ボールを隣へ渡します。最初は60人で一周するのに≒3分かかりましたが、4回目には≒1分に短縮できました。60人の目的はただ一つ、いかに短い時間でボールを渡せるかです。目的が明確なゲームですから作戦を練ってチャレンジでき、それぞれがどうやったら短縮できるか知恵を出し合っている様子が見ていてとても楽しそうでした。

 

テーマに従ってグループの話し合いが始まりました。1グループ8人程に分かれて一円対話で年齢や職種の壁を取り払い率直な意見交換、ブレインストーミングが活発に行われていました。一人が発表すると全員で拍手をしてその意見を尊重し、グループごとに発表をしました。

 

約二時間話し合った発表では、

○一人ひとりを大切にすることの基本は相手のことを受け止めていくこと、相手の願いや思いを受け止めることで信頼関係が生まれていくのです。子どもがやろうとしているのを大人の都合で止めてしまうときはないか、相手を信じて同じ目線で触れ合うことが大切だと思います。

○子どもの良いところを見つけるような保育をしていくこと、子ども一人ひとりの興味を見つけ保育環境を変化させていくこと、そうすることで子どもは気持ちを受け止めてもらっていると感じて、自己肯定感が養われるのでしょう。そのためには大人が気持ちの余裕が必要で、今以上に大人同士の交流の場があると信頼関係が醸成されるのでしょう。

○子ども一人ひとりを観察し信じて認めていくこと、大人自身が自分の気持ちを整えることが大切で、時間と気持ちの余裕をもって話し合いの場を持つことです。

○園の中では挨拶が習慣化されていて、雰囲気が良いと思います。自分から挨拶を実践すること、子どもは声をかけてもらうことで自分の存在を認められ、安心するのではないでしょうか。

○一人ひとりに興味を持って見ていき、一人ひとりの個性を楽しんで見ていくこと、一人で生きているのではないこと、チームで保育をすることを確認しました。

○寄り添うこと、大人都合にならないこと、信じていく、良いところ、興味を持っていることを知る、認めていく実践をふかめていきます。

 

一円対話はその人数分の新たな気づきを得ることができます。同じ課題をシェアできるすばらしさがあります。自分の考えは小さくても大勢の話を聞けることは世界が広がっていきます。

 

小さな自我を取り払い、人の意見を聞けるようになると気持ちは開放的され、世界が広がっていくのでしょう。話し合える場があることが有難いこと、今回の研修のように理念を確認できる場があることは幸せなことだと思います。

 

 

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

園と保護者の風通しが悪くなる案

2012年05月28日 月曜日

P1050877杉並区公私立保育園総会の講演会続編です。

 

新システム案を各園の経営・運営という視点から考えてみると、短時間保育の利用者と長時間利用者の保育料収入は、大きく違いますから保育の必要性の認定や入園選考条件にに影響することが懸念されます。

保育実践面でも、保育時間がバラバラな子ども集団による、子どもの発達の連続性保障と保育援助の課題、子どもを仲立ちとした、「保育者と保護者の信頼関係構築」という保育の基本という根本が崩れる恐れがあります。

 

保護者との意思疎通が欠落、子どもを単に時間だけ預ける、預かるという引き渡し関係になり下がる弊害は大きな問題です。今までのように、保育者と保護者は子どもを第一に考えて、支えあう、悩みあう、不安を共有するという基本的関係性が崩壊するのではないかと危惧しています。

 

それぞれの家庭の保育時間と家庭の所得を反映した園経営という面から考えると、長時間保育で高所得の家庭を選択することもあるのではないでしょうか。認可保育基準は低下していく一方ですから、保育の産業化が懸念されます。

 

保育実践面の課題として、0~2歳児の入所希望者増、育児相談への対応増、一時・不定期保育の増、時間刻みの託児所化、子ども集団による相互発達過程の無保障等が予想されます。これによって子どもの自我の目覚め、自己肯定感の欠落が懸念されます。

 

3~5歳児の保育実践では、短時間・長時間保育の子ども集団が2分される、2通りの保育カリキュラムを策定することになる、子ども集団が分断されることによる連続的発達過程が崩れる、保護者同士のすれ違いによる相互不信感、3歳以上は幼児期の学校教育と位置づけられるのでどのようにしていくか等の課題があります。

さらに、ハンディを持つ子どもの保育実践では、貧困世帯、被虐待児の入所保障、外国籍幼児の保育、発達障害の保育、加配保育士、専門機関との連携強化がさらに必要になりますがそのことは明示されていません。

 

新システム案だと待機児童が多い地域では、各園が入園者を選考できることになります。園にとって都合の良い入園者を選ぶ権利があるということは、児童福祉法の根本理念との整合性を否定することになるのでしょう。短時間、長時間2区分保育になると園と保護者、保護者刊の意思疎通が困難になり、現在でも深刻な問題となっている学校現場での保護者クレームによる教員の心身健康被害が園にまで波及し、円滑な保育ができなくなることも予想されます。

その被害は何の関係もない、「子ども」に及ぼされることを真剣に大人が再考することが求められています。

 

大人の都合による入園選定、保育時間認定という考え方は子どもには全く関係ないことです。子どもの健やかな発達過程を実現するために設置されている各保育施設なのに、経済活動優先で考え出された案は、誰のためのモノなのでしょう。

 

 

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

炭坑には文化があったが

2012年05月25日 金曜日

杉並区内の私立保育園でドキュメンタリー映画、『三池終わらない炭鉱の物語』の上映会がありました。

日本最大の三池炭鉱は機械化されてから百年以上掘り続けられ、総延長400キロメートルにもおよんだ坑道、地下列車に一時間も乗車してやっと採掘現場へ到着する場所もあったのです。通勤に往復2時間もかかる様子は都会の通勤のようですが、真っ暗の地下トンネルを冷暖房も無い台車だけで通勤していた精神状態はそうとのストレスが溜まったといいます。

 

作業前の朝礼では、全従業員が『山の神に向かって拝礼』をしてから仕事を始めました。多くの同僚を作業中の事故で失ったり、大けがして職場を去った人々、インタビューに登場する元炭坑夫は、今でも坑内で作業している夢を見ることがあるが苦しくて目が覚める、確かに給料は良かったがもう二度とやりたくないと語っていました。

 

十六歳からしか坑内作業はできない法律でした、塵肺になる可能性が最も高い職種で多くの方々が発症し、重い症状に苦しみました。

 

朝鮮人の強制労働の過酷さは、「私は今とらわれているが一生懸命働こういつか故郷へ帰ろう」と語られ、愛国通帳という名の預金通帳に強制的に天引きされた賃金は一銭も戻ってこなかったそうです。その後は中国人の強制同も始まりました、日本人が嫌がる作業を中国人にさせ、なんと無賃金で働かせていました。2,300人もの中国人が働かされ、ケガをして亡くなっていきましたが、さらにフィリピンで捕虜になったアメリカ兵も働かされました。インタビューに答えた元アメリカ兵は、炭坑の仕事がきつくて休みたくて、自分で腕を壁に打ち付けて骨折させたり、ハンマーで自ら手の指をつぶして仕事を休んでいたと生々しく語っていました。

 

現在の三池地域では、『さのよい踊り』で街を活性化しようと、若者達が立ち上げり前を向いて歩もうとしています。

熊谷監督は、『むかし原発 いま炭坑』という書籍を出版しました。逆のようなタイトルですが、かつて炭鉱があった周辺地域に原発があることが多いのでこのタイトルにしました。インタビューに登場した元炭坑夫は、過酷労働を強いられた炭坑現場だったが、そこには炭坑文化がありました。しかし「原発」に文化はありません。炭坑節はありますが、原発節などありえません。

 

「生住異滅-すべての物事は、生じ、とどまり、変化し、消滅する」、杉並区私立保育園園長会では6月に福島県の保育園と復興センターを訪問します。3.11以降、保育現場で何が変わり何が変わっていないのか伺い、現場体験してきます。今後少なくとも10年間は東北の保育現場を訪問していきたいと考えています。

 

P1060050

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

坑内で授乳していた炭坑「婦」

2012年05月24日 木曜日

杉並区内の私立保育園でドキュメンタリー映画、『三池終わらない炭鉱の物語』の上映会がありました。なぜ保育園で炭坑の映画なのか、この映画を創った熊谷博子さんの御嬢さんが通っていた保育園で卒園後も交流を続けていて今回の上映会になったそうです。熊谷監督も来園して映画が始まりました。

 

九州の三池炭鉱の歴史とそこで働いた、働かされた人々の人生が生き証人の語りで蘇ってくる構成です。1946年に「燃える石」が発見され、1873年に国営炭鉱になり、1889年に「三井」に払い下げられて民営化しました。

 

1997年、長い歴史に終止符を打ち炭坑は完全閉山しましたが、まちには今も三池炭鉱の跡が数多く大きく残っています。炭坑節の象徴であった高い煙突がひっそりとそびえている

宮原炭鉱は近代化遺産の西洋風レンガ造りの建物は当時の建築力を結集したモノだったそうです。重厚長大産業をささえる核となっていた石炭採掘、その現場での光と影を掘り起こしていくと多くの人々の悲惨な人生が浮き上がってきます。

 

熊谷監督は、炭坑の地に立つと、地底からの声が今でも聞こえてくるような気持になって、

即座に映画に撮りたい思った、と語っています。1899年、与論島から三池に未来の夢を抱いて集団移住が始まりました、当時与論島は経済的展望が持てず若い世代を中心に新しい地に移り住んできました。

 

1938年には生産量増産のために朝鮮人の強制連行が始まりました。実は江戸時代から囚人労働が常態となっていた歴史が繰り返されていたのです。坑内は気温30℃以上、湿度90%にもなり朝持ち込んでおいた弁当は、ネズミに食い荒らされる環境下での労働を自ら望む人はいませんでした。

 

労働力は朝鮮人だけでは足らなくなり、さらに九州全土の囚人を招集し掘り続け、囚人労働は民営化されてからも続いていたという奇異な状態でした。毎朝・夕に収容所と炭坑とを結ぶ道を囚人が隊列を組んで歩いていた道は、「囚徒道」と呼ばれ人々はその時間は家の中に閉じこもっていたそうです。

 

当時は北海道での囚人労働は人権問題化され禁止されましたが三池では継続され、「修羅炭坑三池」とも呼ばれました。炭坑夫と聞くと男性をイメージしますが、女性も数多く働いていました。夫が石炭を掘り妻が運ぶ、中には陣痛を坑内で迎えた女性や授乳をしながら働き塵肺で倒れていった女性もいたのです。

 

P1060053

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

44道府県議会が賛成しない新システム

2012年05月23日 水曜日

職場教育ではコミュニケーション能力アップ研修が盛んに行われています。保育という仕事も一人ではできません、複数の保育者がチームで保育を行うのですから先輩後輩に関係なく学びあうことが可能な環境、職場風土づくりが重要です。さらには同じ地域の保育園同士が運営や保育実践を創造的に啓発しあい、国に対して提案をしていくこと、子どもにとっての最善の利益をもう一度確認することが今まさに求められています。

保護者と一緒の勉強会を行う、幼稚園・保育園のお互いの専門性を共に磨きあう取り組み、公的財源の確保、地域での構想・施策提案をボトムアップで提案し公私立・幼稚園保育園の連携を創造的に造っていくことも意義深いと思います。

 

2006年、認定こども園制度ができて全国で700カ所が移行しましたが今国会でこの制度をさらに変える審議を行っています。新システムに謳われている「世界に冠たる日本の保育」とはどんな保育なのかそのことを議論できる場づくりをしていきたいものです。

4月13日東京新聞に「新システムの落とし穴」という記事が掲載されていました。このシステムになると施設側は経営を考えますから、長時間利用者を優先的に入園させることになるのではないかと危惧しています。

 

実にこの新システムに対して44道府県議会、全国188の市区町村が反対もしくは懸念の採決、日弁連も意見書を提出しています。昨年には保育現場の意向に反して保育所最低基準(子ども一人あたりの面積等)が引き下げられましたが、京都市では画期的な法整備をしました。それは保育士と子どもの人数基準を向上させたのです、3歳15、4歳20、5歳25という画期的な制度を導入しました。

 

保育養成校も課題山積で、新システムでは保育教諭という職名に移行するのですが、幼稚園課程が無い、保育士課程が無い学校はどうしていくのでしょうか。各保育園が自園は理念に基づいてどのような保育をしていくのか発信していくこと、保育園と幼稚園両者が胸襟を開いて話し合う風土づくり、保育実践を語り合うことから始めてみる展開が求められいます。様々な保育施設があること、多様性あることが面白いので互いに学びあうことが子ども主体・子ども中心の保育になっていくポイントだと思います。

 

resize34498

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

させられる制度から自発的な制度へ

2012年05月22日 火曜日

杉並区公私立保育園総会の講演会最終回です。

日本の保育施設最低基準は世界基準の最下位にランクされています。昨年、国は子の最低レベルの基準をさらに引き下げました。

 

ぜひ、杉並の保育園に関わる皆さんが運営や保育実践を創造的に啓発しあい、国に対して提案をしていくことが大切です。それは子どもにとっての最善の利益をもう一度確認し、保護者と一緒の勉強会を行う、幼稚園・保育園のお互いの専門性を共に磨きあう取り組み、公的財源の確保、地域での構想・施策提案をボトムアップで提案し公私立・幼稚園保育園の連携を創造的に造っていく等とても重要なことです。

 

2006年、認定こども園制度ができ、全国700カ所がその制度の上で運営されていますが、何故さらに新システム案などを提案するのでしょうか。認定こども園制度を自己否定する国なのでしょうか、認定こども園制度の時も、「反対」を表明しました。その理由は明確で、国が幼稚園・保育園の設置基準を見比べて、それぞれ項目ごとの低いレベルを集めて作ったからです。

 

4月13日東京新聞に新システムの落とし穴という記事が掲載されました。この記事のように長時間利用者を優先的に入園させる懸念があり、なんと新システム案に対して全国44道府県議会が反対もしくは懸念を採決、188市区町村も同様の意思表明をしています。

 

しかし、全国の地方自治体の中には捨てたものじゃない地域もあります。たとえば京都市は全国的にみても画期的な法整備をしました、それは保育士と子どもの人数基準をレベルアップしたのです。保育士1人:子ども人数を3歳児1:15(現行20)、4歳児1:20(現行30)、5歳児1:25(現行30)としました。

 

質疑応答では、

保育養成校の課題について先生は、要請校内も課題山積で現行の保育士、幼稚園教諭を新システム案では、「保育教諭」という職名に移行することになるので、幼稚園課程が無い、保育士課程が無い学校は困惑しています。さらには企業からの求人が急増し、慢性的な保育士、幼稚園教諭不足に陥るでしょう。

 

以前に岩波ブックレットから発刊した、『幼稚園と保育園が一緒になるとき』に記したように、実際の保育現場がどのような保育をしたいかを発言し決めていけるシステムが絶対的に大切です。保育は国が案を作って現場に「させる」ことではありません。

 

幼稚園でも3歳未満児の保育を模索し始めている園もあるので、両者が胸襟を開いて話し合う風土づくり、保育実践を語り合うことから始めてみると良い展開があるのではないでしょうか。この国には様々な保育施設があること、多様性があることが面白いのでそれを互いに学びあうことが良いことなのです。(文責:園長)

 

研修会を終えて思ったことは、

国主導でシステムを考えようとしているので、実際の保育現場や地方自治体から反対されているのでしょう。国の役割は現場が望んでい無ないことをさせようとするのではなく、現場が困っていることを一緒になって考え、現場が考え出したことを支援することだと思います。

 

そのためには、子どものことを第一に考えて各国で行なわれているの保育での保育者の関係を学べば答えははっきりと見えてきます。大人主導の日本特有の保育、保育者が子どもに指示したり、やりたくないことをさせたりする保育では子どもの自己肯定感は培われません。新システム案へのシナリオは日本特有の保育に極似しているようです。

 

resize34496

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

粋な江戸東京野菜

2012年05月21日 月曜日

resize34485財団法人 農山漁村文化協会が発刊している『江戸東京野菜』という書籍を購入しました。きっかけは、以前にブログで紹介した、『よみがえりのレシピ』という山形地方に伝承されている「在来作物」の長編ドキュメンタリー映画を見て興味をもったからです。

 

昭和47年に最大都市圏の市街化地域内において、「農地はいらない」という施策が打ち出され、農地に宅地並みの重課税をかけました。その結果、先祖代々継承されていた江戸東京野菜などの栽培が無くなり、東京の食糧自給率は1%になってしまいました。このままでは江戸東京の伝統野菜が無くなってしまう、と栽培継続や復活の取り組みが平成になってから始まりました。在来作物はその土地、風土、気候に順応して脈々と伝承されてきた貴重なモノで、そこで生活する人々は地産地消が本来的です。

 

江戸から明治、大正、昭和の各時代に庶民の食生活を支え、食文化を育んだ野菜を慈しみ守っていこうとしている高貴な人々と野菜が紹介されています。たとえば、大根は亀戸大根、大蔵大根、練馬大根など、長さも20~100㎝と多様です。練馬大根は最長100㎝素人が抜くのは一苦労でしょう。

 

伝統小松菜は江戸川区「小松川」の名を冠していますが、名の由来は八代将軍徳川吉宗が鷹狩りに出かけ、香取神社で供された青菜が入ったすまし汁がいたく気に入り、「この青菜はなんという名か」と尋ねましたが、名前がありませんでした。それでは、「地名に倣って小松菜と呼ぶがよい」となったという話も伝わっています。

 

ねぎは地域で食べる部位が違います。関東では白い軸部分を食べる、「白ねぎ」「長ねぎ」ですが、関西では緑の葉を食べる習慣があるので、「葉ねぎ」「青ねぎ」が主で、元々は同じ品種だと考えられています。日本一の繁華街新宿には、「新宿一本ねぎ」という粋なねぎがあるのです。

 

このように現在まで伝承されている江戸東京野菜を、育子園の園庭にある空中菜園でも子ども達と栽培、収穫して調理保育で食してみたいと考えています。飼育栽培係の職員が種苗の在処や栽培方法などを熱心に情報収集しているところです。

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

保育に邁進してきた日々

2012年05月18日 金曜日

resize1529杉並区にある個人立の認可保育園聖心保育園60周年記念式典に参加してきました。保育園は60周年ですが、遡ると明治時代から120年にもわたって保育・教育に携わっていたのです。その始まりは現在の山口県周南市で女学校を開設、明治21年の磐梯山大噴火の罹災者救援を行ったそうです。

 

その後、育児事業を明治23年に立ち上げました。その理由は刑務所に収容される女性の子どもを育児するためでした。女囚の子どもに対する見方は厳しく、親族さえ引き取らない1歳児を35人も預かったのです。子どもは閉ざされた刑務所という空間で過ごすと健やかな発達が遂げられない、子ども同士が関わりながら過ごすことが子どもにとって有意義であるという高貴な志は社会福祉の原点です。

 

このようにして、1歳から小学校卒業までの子どもを対象として預かり、卒業するまでに得意な仕事を見つけてあげていたそうです。誰の子どもという分け隔てなく関わる取り組みはそうそう真似できるものではありません。その地道で崇高な功績が認められ、明治44年には内務大臣表彰を受けました。

 

その後、杉並の地に移り昭和13年に聖心幼稚園がスタートし現在に至っています。音楽教室も行っている保育園らしく、祝賀会でシューベルト作曲の4手のピアノの為のグランド・ロンドD951を卒園児4人がプリモ、セカンドを分担して演奏してくれました。

 

園長挨拶では、65年前にこの地で生まれた当時は幼稚園でした、その後認可保育園になったのですが、家庭内で保育を行っていた戦後の混乱期でした。音楽大学を卒業後、保育園に勤務し始めたのです。40歳で保育を大学で勉強し、乳幼児を見る目がピアジェ、マカレンコの教えに基づき職員の質の向上を行っています。保育士は保育園に居る時だけが保育ではなく、園を離れているときも人間として成長することによって良い保育ができるのです。生まれた時から保育園で育った園長先生の視点は保育・教育者にとって最も大切なことです。

 

杉並区の田中区長も出席されていました、挨拶では区の保育行政について待機児童は待ったなしの課題で、杉並区では5年間で30億円の保育関連予算を確保しました。いつまで待機児童が社会問題となっていくのかわかりませんが全力で取り組みたいと力強く語っていただきました。

 

会場で杉並区以外の幼稚園、保育園関係者と話をした共通課題として、保育者の確保が年々難しくなっていること、採用しても短期間でやめてしまうという状況が深刻化していることがあがりました。以前のブログでも紹介しましたが、5年後には7万人の保育士が不足するだろうと予測されていますが、現状はさらに深刻の度を増しているようです。各園単独での採用募集活動には限界がありますから、地域全体で保育の仕事を目指す人々に保育の楽しさ、やりがいを体験できる仕組みを構築したいと考えています。

 

 

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

Pages: 1 2 3 Next
  • 報告書関係
  • 佼成育子園 お問い合わせ
  • 佼成育子園 トップページへ
このページの一番上へ
立正佼成会附属 佼成育子園
〒166-0012 東京都杉並区和田1丁目16番7号 TEL:03-3381-0398 グリーンFAX:050-3737-1849
http://www.kosei-ikujien.jp/ E-mail ikujien@iris.ocn.ne.jp
Copyright (c) Kosei ikujien. All Rights Reserved.