人が喜ぶと自分も嬉しくなるプログラム
2012年04月03日 火曜日
育子園に入園希望で訪れる保護者に必ず次の質問をします。「どんな子どもにそだってほしいですか?」、「どんな親になりたいですか?」
「どんな子どもにそだってほしいですか?」の質問に対して上位は、周囲に対して思いやりのある子ども、自分の意志表示をして生きていける子ども、です。
先日ボランティアをする人の心や姿勢について学ぶ機会がありました。
ボランティアの語源は、「自発性」です。例えば3.11被災地ボランティアに参加している人達の参加動機は、おおむね2つに分かれるようです。
1つ目は、ボランティアに行くと自分が何か得られるものがあるのではないか、自己実現ができるのではないか、普段の自分に満足していないので自分を変えるきっかけになるのではないかという人達。この種の人達は目立つ活動を行い、継続性が低いそうです。
もう1つの人達は、人が困っていたり環境が悪化していると、自分自身のことと思え、何とかお役に立ちたいという平等感、調和感、いのちへの感謝から沸き起こる自然の思いなので、特別なことをやっているというのではなく、至極当然のようにボランティアをするという人たち。この種類のボランティアは継続的にかつ、陰役(人が見ていようと見ていまいと、目立たないことを行う)を行なうそうです。
一望すると同じようみえるボランティアですが、内面を考察すると大きな違いがあるのです。
また習慣的に神社仏閣やお墓参りを行っている人はボランティアに参画する割合が高く、宗教的な利他主義を自然に実践しているのでしょう。
育子園の子ども達を見守っていると、ボランティアと自己肯定感・自尊感情(自分は尊い存在、自分に対する自信、生きるエネルギー等)には関係性があるように感じています。自己肯定感はおおむね3歳までに出来上がるとされています。この間に親や周囲の人々から、十分に受容され認めてもらう経験を何千、何万回も積み重ねることで培われるのです。
乳児期に十分に周りから愛されて順調に発達を遂げると、人が喜ぶと自分も嬉しくなるという感情がプログラムされているようですから、子どもの発達過程にしたがって、大人のお手伝いや自分より発達が未熟な子どもに対するお世話をするようになります。育子園でも給食当番や掃除、物品を事務室へもらいに行くなど、競い合ってお手伝いをしています。お手伝いを自発的・積極的に行っている子どもには共通点があるような気がします。
それは、自己肯定感が高い子どもほど自己PRをせずに目立たないお手伝いをさりげなく毎日しているようです。自己肯定感が低いと、自分は必要ない人間だと思う、自分に自信がない、指示待ち人間、他者への思いやりが欠ける、などです。他者やモノに対する思いやり、気配りはできないようです。人は自分が尊い存在だと思える自信が人格ベースとなって、やっと自分以外も尊い存在だと思えるようになるのです。
ところで日本は成長と共に自己肯定感が低下していく、「珍しい国」と言われています。幼少期に自己肯定感が高い子どもが小・中・高等学校へと進んでいく過程で自己肯定感が崩れていくというのです。育子園でお手伝いを自ら選択し楽しそうに行っている子ども達が、いつまでもその気持ちを持ち続けられるような社会環境を整えていくことは大人の責務です。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ