やればできると思えばできる
2012年03月22日 木曜日
月刊『致知』に掲載され、「幼児教育に懸ける」思いを語った、一廣学園 風の谷幼稚園園長の天野優子先生のコラムに感銘しました。このコラムを紹介していただいたのは、今から約30年前に同じ職場でお世話になり、お母様が幼稚園経営をなさっていた先輩です。
天野先生は幼児教育に情熱を持って取り組み、子どもの存在を丸ごと信じ切って保育を展開していくと、想像もしていなかった世界が展開していくのです。コラムに記されている、『子どもたちにカルタ作りをさせたところ、こんな読み札を作った子がいました。「やればできると思えばできる」皆より体も小さく、つまずきながら進んできた子でしたが、私はそれを見て、もう卒園したっていいよと思いました。』という部分、子どもの感性を保育者が受け止め讃えていくこと、子どもの発達は年齢ではとらえることはできないことを改めて学びました。
そして、保育者は子どもの手本になることが最も大切なことだと思いました。
では、天野先生のコラムの一部を紹介します。
… いま、入園児募集の際に受ける質問の多くは、次のようなものです。
「スクールバスはありますか」、「給食はありますか」、「預かり保育はありますか」
問われているのは教育の中身ではありません。子育てを人まかせにし、自分たちの負担を少しでも減らしたいという感じのものが多いのです。これは親による無意識の「子捨て」ではないでしょうか。
いまから八年前、五十歳を過ぎていた主婦の私が、三億円の借金をして立ち上げた風の谷幼稚園。十四年間の幼稚園勤務の経験以外に、土地も資金もない状態。地主さんに土下座をしたり、役所ではたらい回しの目にも遭いましたが、そんなことは問題ではありませんでした。
設立の動機は、人が人として育っていきようがない、そんな幼児教育の現状に、強い危機感を覚えたからです。子どもたちに「誇りをもって生きていってほしい」というのは私たちの願いです。しかしいま、大人も含め、多くの人々が強い不安感や自己否定感を抱えて過ごしています。
私はその主な要因は、自分というものをきちんと確立できていないという自信のなさにあると考えています。 幼稚園を始めた頃のこと。年長児に、小さい子の面倒を見てほしいと頼んだら、「なんで俺たちがしなきゃいけないの?こっちだってしたいことがあるのに」といわれ、強いショックを受けました。ところがその彼らに、嫌々ながらであれ面倒を見てもらった子たちが年長になった時のことです。
幼稚園から一キロ余りある尾根道を伝っていくと、広い芋畑に着きます。子どもたちはその芋を掘りたいだけ掘ってよいのですが、全部自分で持ち帰ることが約束事。年長児は皆、体重の半分もある芋を背負っているにもかかわらず、年少児の手をちゃんと引いて帰ってくるではないですか。
理由を聞いてみると、「これまで自分たちがしてもらったから」。これは私にとって、目から鱗が落ちる体験でした。つまり、人は自分がしてもらったことを決して忘れず、その受けた行為を必ず誰かに返していくものなのです。大切なのは、それを言葉ではなく、具体的な行為を通して体験させていくということです。
それではもう一つ、木工作を例に挙げてみましょう。子どもたちには三歳の時から金づちと釘を使わせ、車などの遊び道具を作らせます。当然初めはうまくいきません。釘が曲がってしまったり、板からはみ出てしまったり。そんな時は「釘を抜けば、また打てるんだよ」と声をかける。それで穴ぼこだらけになったなら、板をひっくり返せばいい。おかげで、風の谷幼稚園の子どもたちの中には「失敗」という言葉がありません。
ある子が子どもたちにカルタ作りをさせたところ、こんな読み札を作った子がいました「やればできると思えばできる」皆より体も小さく、つまずきながら進んできた子でしたが、私はそれを見て、もう卒園したっていいよと思いました。それさえ分かっていればどこへ行っても大丈夫。幼児期とはそうした経験の積み重ねの中から、揺るがない自己をつくっていく期間でもあるのです。しかしながら現在、幼児教育を取り巻く状況は惨憺たるもので、
私たちの理念に共感してくださり、現在では入園のために他府県から家族ごと引っ越してこられるケースも珍しくありません。
光が一杯に溢れ、風が流れる幼稚園。この場所が子どもたちのよきふるさとになってくれることを願っています。…(月刊『致知』より抜粋)
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ