南相馬市からやって来た10人の子ども大使
2012年03月14日 水曜日
3.11杉並公会堂で行われた、「3.11を忘れない 南相馬市復興支援事業」の第2部です。
第2部の幕開けは、フリーアナウンサー4人で構成されている朗読セラピー「Swimmy」による被災地レポート「南相馬の々」でした。大スクリーンには被災地の写真が映し出され、4人のアナウンサーが現地で出会った人々の思いや現状を語ります。夫だけ残り子どもを含む家族は遠くへ避難している家庭が多い南相馬市、7万人の人口は5万人弱まで減っています。
数回にわたって現地に出向いて朗読会や歌をプレゼントして被災支援をしています。除染作業をしているのは50歳以上の人が行って、若い人にはさせません。小学生の子どもは半分しか地元に戻ってきていません。
被災者の一人の声として、震災で友達を失ったけど、被災したことで今まで知らなかった沢山の人達と出会え、沢山の優しさや勇気をもらえました、と朗読は結ばれました。さすがにプロのアナウンサー4人、明瞭な発音と抑揚で観衆は聞き入っていたようです。
最後は南相馬市から昨日バスに乗ってやってきた5歳から15歳までの子ども達10人と、日本フィルハーモニー交響楽団弦楽四重奏者のミニコンサートでした。
日本フィルも3.11当日はサントリーホールでコンサートでしたが、その晩はホールに70人ほどの観客だけが駆けつけコンサートを行ったそうです。その2日後には成田から香港公演へ出国しようとしたのですが、原発被害から逃れるために各国大使館が自国民を緊急帰国させたために、空港内外は大混乱していたのが思い出されますと語っていました。
日本フィルの「G線上のアリア」演奏の後、いよいよ南相馬市からやってきた子ども達が登壇すると会場から割れんばかりの拍手が湧き起こりました。子ども達が歌い始めた歌詞の、「僕と君の歩く道は繋がっているから、僕と君の見る夢は繋がっているから…」に涙している多くの観客、歌が終わるとこの企画を考えた南相馬市の上条さんが語り始めました。私は障害者施設を運営していましたが、3.11以降今も閉園しています。このステージにいる子どもの中には、今でも家族ばらばらに生活している子どもがいます。でも一生懸命、今を生きています。
最後は会場の皆で「ビリーブ」合唱して幕を閉じました。
約2時間の式典でした、田中区長の挨拶では杉並区と南相馬市のように基礎自治体間の災害救援活動には国の規制が大きく立ちはだかっているのだそうです。規制緩和を求めて杉並区長、南相馬市市長、新潟県小千谷市長、北海道名寄市長(杉並区は2市とも協定を締結しています)が当時の管総理大臣を訪問して規制緩和を強く訴えました。その後、全国市長会議では地方行政間で共助しあうシステムが話し合われ、すべて国任せではなく自分たち自治体同士で出来ることを発案しています。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ