子どもを信じると楽になれる
2012年01月17日 火曜日
ある保育園の園長先生からこんな話を聞いたことがあります。その園は年間通して行事に力を注ぐ方針で、発表会の練習も数ヶ月前から始め、保護者にも豪華けんらん衣装作りを強制していました。職員は上演時間管理のためストップウォッチを片手に、リハーサルを重ねました。
猛特訓の成果が実り発表会当日は時間どおりに終わって、ホッとしていました。ところが翌週月曜日、担任は疲れ果てて休みました。他の保育者がそのクラスに入り子ども達に、「発表会当日はとっても良くできたので、今からもう一度やってみましょう!」と呼びかけると、子ども達は「もう嫌だ!楽しくないからやりたくない!」。
これが数ヶ月間、我慢に我慢を重ね大人に付き合わされた子どもの本音だったのです。職員は疲れ果て、子どもは発表会とは関わりたくないというのですから答えは明白です。発表会で培ったものが次の保育に繋がっていないということは、行事のための行事で終わってしまったようです。
育子園では1月27日に行われる発表会の取り組みが緩やかに気楽に行われています。ある職員が朝礼で発表会の様子について話をしていました。
見守る保育になってから、行事を成功させなくていはいけないという自分の焦りがなくなり、ゆったりとした気持ちで居られるようになりました。発表会の準備は昨年末から徐々に始めていますが、6年前までは本番に向けて子ども達のレベルアップのため指導や指示を沢山してしまい、自分も疲れ子ども達も練習に明け暮れていました。
今は子ども達の発表会なのだから、子ども達を信じ切って任せようという気持ちになれたのです。そうしたら不思議なことが起こりました、大人が指示しなくなると子ども達ら自発的に、この場面ではこうしたらいいんじゃない?というアイディアが続々と生まれてくるようになったのです。
その話を聞いた他の職員も、見守る保育以前の年齢別一斉保育時代は、行事に全力を費やしていました。いわゆる見栄えの良い、見せるための行事をしなくてはいけなかったので大人も子どもも「やらされている感」で一杯になり、子ども達に無理をさせてしまったことがありました。
出演する子どもへの配慮が不十分になり、他のクラスに劣らないように見栄え良く成功させることを優先にしていたことを反省しています。
朝礼ではこのように職員同士が真剣・正直な学びあいをしています。真面目な日本人が考えだした日本独特の年齢別一斉保育を行っていると、どうしても大人主導で子どもを動かしたり、同じレベルにしたくなるようです。一生懸命に子どものためと思いながらやっていることが、思わぬ方向に向かってしまっていることすら渦中では解らなくなってしまうのでしょう。
ところが、子どもを丸ごと信じ切って、子ども一人ひとりの発達過程を見極めてその子どもにあった保育援助をしていく「見守る保育」を実践していくと、180度違った気持ちで保育者が子どもと接することができるようになるのです。
大人が居心地が良くなるのですから、当然子どもも同じです。
「みんな違ってみんな良い」の言葉どおり、一人ひとりの子どもがそれぞれ安心して自分を表現できていることが保育者の喜びと感じられるので、「相手を変えなくてはいけない」という真理に反した無理な発想が無くなってくるようです。
不変の真理、「過去と人は変えられない、未来と自分は変えられる」のように。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ