佼成育子園[こうせいいくじえん]-東京都杉並区

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佼成育子園前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ
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園のこだわり

子どもは大人を見て育つ

2011年09月30日 金曜日

resize33478今年も9月21日~30日まで秋の交通安全運動が行われています。今年のスローガンは、「やさしさが走るこの街この道路」で、重点項目は①夜間の事故防止、反射板と自転車ライト点灯 ②全ての座席でシートベルト、チャイルドシートの正しい着用 ③飲酒運転の根絶 ④二輪車の交通事故防止、です。

 

気軽に乗っている自転車も、ひとたび交通事故を起こすと民事と刑事の責任が問われます。たとえば、携帯電話を操作しながら無灯火で走行中、歩行者と衝突した自転車の交通事故では、5,000万円の賠償金が請求された事例もあります。

 

自転車は車道走行が原則で歩道は例外になっていますが、欧州のように自転車専用レーンの整備が進まない現状で車道を走るのには勇気いる人々が多いのも事実です。

さらには最近の自転車ブームの中、ブレーキの無い競技用自転車で公道を猛スピードで走行し、大事故を起こすケースが増加しています。

 

育子園では4、5歳児を対象にした杉並警察署の交通安全教室が行われました。町内会の皆さんも参加していただいて、5歳児対象に来年4月から一人で小学校に通うので、信号機の確認と横断歩道の渡り方をおさらいました。お巡りさんが話し終わると、ある子が「お母さんは、黄色信号でも○○するよ!」と言いました。周りにいた大人は失笑、お巡りさんは、「黄色は渡らないようにしましょうね!」と話してくれました。

 

「子どもは大人が言った通りには育たない、大人がやった通りに育つ」と昔から言われているように、保育者も子どものお手本になれるよう日々の言動を三省しています。

Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ

五度、スター・ウォーズ

2011年09月29日 木曜日

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朝、育子園の門で登園してくる子ども達をお迎えをしていて、スター・ウォーズのリュックサックやTシャツを身につけた子どもを見かけると、自然と頭の中には映画のテーマ曲が流れ始めます。

 

さて、9月16日に発売された「スター・ウォーズ コンプリート・サーガ ブルーレイBOX」を早速購入しました。映画作品のブルーレイ・ボックスによる発売1週目の売り上げ枚数の最高記録を打ち立てたそうで、BOXは、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』から『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』までの、本編ブルーレイディスク6枚、特典ディスク3枚の合計9枚組でHD高画質と迫力の英語6.1ch、日本語5.1chの DTS HDマスターオーディオです。来年には3D版も発売されるそうですが…

 

ご承知の通り6つのエピソードのうち最初に制作されたのはエピソードⅣで、日本公開は1978年(昭和53年)7月1日でした。今から33年も前のことになりますが、19歳だった私も新宿歌舞伎町の映画館でロードショー・オールナイトの立ち見をしました。1977年に本国アメリカで大ヒットし、今のようにネットの無い時代でしたが前評判は非常に高く、当時の日本人が見たことも無い映像に若者を中心に熱狂的なファンが続出し社会現象になりました。

 

当時は一般家庭にはVHSやβの録画機があまり普及していなかったので、レンタルで映画を借りて見るというライフスタイルはありませんでした。気に入った映画を見るのなら、何度も映画館に足を運んでいた時代です。その後、エピソードⅣⅤⅥはVHS、LD、DVD化、ⅠⅡⅢはDVD化され、今回の全巻ブルーレイ化で集大成に至りました。今となってはもう見ることはないであろうVHSも含め、手元に置いておきたいファンが多いのです。

 

Ⅳ当時は、デジタル処理が始まったばかりの時代でしたから、戦闘シーンでは実際に小型模型を作製して爆発させたり、デススターのジオラマをカメラを移動させて撮影していたようです。最後に作られたエピソードⅢの直後にⅣを見ると、当時の最先端作品もレトロ感たっぷりに見えてしまいます。

音響も、モノラルかステレオが主流でしたが、エピソードⅣで初めて音が劇場内を移動するサラウンドを実現しました。今では家庭でも7.1ch程度のスピーカーシステムとデジタルAVアンプで臨場感豊かな音場を楽しめるようになりました。映画全体の魅力を10とすると、映像5と音響5の割合だという監督もいるぐらい、サウンドがあたえる効果は大きいのです。

 

エピソードⅣの制作に取り掛かって最初に作った効果音は、ライトセーバーの音です。一度聞いたら忘れないあの独特な音のベースは、古い35ミリフィルム映写機が発していた古いモーター音と壊れたテープレコーダーの電源を入れたまま、ブラウン管テレビの前を通過するときに発するテレビの電波干渉音を合成したのだそうです。

 

スターウォーズはSFではなくファンタジーとルーカス自身が述べているように、壮大な宇宙物語は30年という時を超えて新たなファンも増やしながら、後世へ語り継がれていくことでしょう。

 

 

 

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ケ・セラ・セラ

2011年09月28日 水曜日

resize1417職員から、『男にも読んでもらいたい オンナ塾』というタイトルの本を紹介してもらいました。育子園の職員は勉強熱心な方々ばかりです。著者は「女優メイクといったらIKKO」という有名な異名をもつIKKOさん、1962年福岡生まれでエアメイクアーティストとしてアトリエIKKOを設立し、マスコミ等でも活躍中です。

 

「男にも読んでもらいたい」というタイトルに惹かれて読み始めてみました。女として生まれたかったのに男に生まれてしまったというコンプレックスを背負いながら前向きに生きてきたIKKOさんの人生訓が200ページにもわたって語られています。エッセイ風のある一遍に、「人生、ケ・セラ・セラ」というページがあります。

 

「人生、ケ・セラ・セラ」

幸せをつかみたい、成功したいと思ったら、努力を惜しまない。

今時そんなの流行らない、と思うかもしれませんが、

これまで私が出会った、「成功者」と呼ばれる方たちの姿を見ていると、

つくづく思うのです。

 

さらに私が体験から学んだのは、

 

仕事でも何でもやるだけのことをやったらあとは、ケ・セラ・セラ

なるようになるさという気持ちで臨むこと。

もちろん、やるべきことをやらずに

最初から「なるようになるさ」では、

ただのいい加減、無責任な人。

大きな失敗を招きます。

 

ただ、いくらベストを尽くしても、

現場ではいろいろなことが起こります。

その中で、予期せぬ不具合に見舞われることもあるでしょう。

そんな時は神経質になりすぎず、

「こんなこともあるさ」と笑い飛ばしてしまった方がいい。

あれこれ思い悩んでくよくよしても何も始まりませんから。

 

やるだけやったんだから、しょうがない、

と清々しい気持ちで立ち上がり、

また前に進んでいく。

そういう人のところに福が舞い込んでくるような気がします。

 

 

50年の人生を歩んできたIKKOさんの思いが込められています。「人知を尽くして天命を待つ」、人生は思い通りにはならない、思い通りにしたいと思うことが、苦を生む源のようです。

 

 

 

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失敗をしていい保育園

2011年09月27日 火曜日

全国私立保育園連盟主催の、「保育カウンセラー養成講座」に参加してきました。会場は東京蔵前にある全国保育会館で、周辺はお寺が多く散策するには趣のある場所で、道を挟んだ向には東京鞄協会という建物があります。

 

今回は2日間のコースですが、初日は愛知県の私立保育園園長が講師でした。15年前に父親の後を継いで園長になり、保育カウンセラーの重要性を認識され今では講師を務めるまでになりました。園長に就任した当時は、保護者と園とのトラブルが多発してその対応に苦慮していましたが、保育カウンセリングを学んでそのマインドで接するようになってから、子ども、職員も失敗を許される雰囲気の園に変わっていき園児数も2倍になったそうです。

 

集団活動を中心にしている保育園では、特にカウンセリングマインドを取り入れることで子どもや職員同士の関わりが改善できるのではないでしょうか。課題を持っている本人が答えは持っているのですから、強制しても解決にはなりません。

 

日本の子どもと子育てをめぐる状況説明では、先進国の中で子どもに関する予算が日本は最低で、今でも狭い保育室面積をもっと狭くしようとし、遊戯室も職員室も無くてよいなどの提案がなされています。保育園の最低基準を向上させることは大きな課題です。小学生でも30人クラスを導入する自治体が増えている中で、保育園の4、5歳児30人を保育士1人で担当させている状況では子ども一人ひとりの気持ちを大切にするのが困難な状況ですから、改善策を話し合っていくことが必要です。

 

長期化するデフレ、円高等により全国の7世帯に1世帯が経済的困窮家庭という現状ですから、保育園入園にあたって保護者に購入してもらう物品も経済状況の悪化などを勘案して、慣習にとらわれずに見直していく必要があります。

  

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パジャマを着ると夕ご飯無し?

2011年09月26日 月曜日

杉並区役所で開かれた、杉並区内公私立園長学習会は明星大学の垣内先生を招いて行われました。

その中である保育園の様子が紹介されました。

 

6歳ななみちゃんと保育士の会話、

ななみちゃん:「ねえ先生、私はケンジが好きだから給食のときケンジにチューしてるんだよ!」

保育士:「ななみちゃんはタケシくんが好きなんじゃなかったの?」

ななみ:「なな、タケシもケンジも好き、男ってみんな好き!」

保育士:「みんな、いい男だもんね」

 

という会話です。

「男ってみんな好き!」という言葉に引っかからない保育士、子どもの気持ちをそのまま受け止めている様子が取りが目に浮かんでくるようです。子どもがほいくしゃを信頼しているからこのようなやり取りが自然と生まれるのでしょう。保育の仕事とは、その子と価値を共有していることです。保育者が子どもに対して大人目線で何かを教えるとか、できるようにさせるということなどは二の次でもよいことといえるでしょう。日本の保育は少し勘違いしているのではないでしょうか。

 

続けて、「福祉の広場』という保育誌に埼玉県立大学清水玲子先生のコラムを紹介されました。

 

ある保育園で、年長の男の子J君がしみじみとした口調で、「先生、オレ、きのうショックなことがあったんだ!」とM先生に語りだしました。

「何があったの話してみて?」、「あのね、おうちに帰ってからご飯を食べる前にパジャマに着替えたらママが、ご飯食べないで寝るんだと言ったの。だから、オレ、なんか食べるものありますか?って聞いたら、納豆ってママが寝転がったまま言うから、冷蔵庫から納豆を出して混ぜたの」、

「へー、自分で混ぜられるんだ」とM先生。「うん、でもそれだけじゃ味が薄いんだよ。だから醤油入れたいなと思って、醤油どこですか?ってママに聞いたら、棚って言うから、探して醤油入れたらドボドボ入って変な味になってショックだった」。

 

M先生はこの話を聞いた時のことを保育日誌にこんなふうに書いた。全部書き終わる前から胸がキューとなる思いで一杯になった。その日のお迎えはいつもより早かったのに、母親はご飯の支度をせずにいたのでJ君は先に着替えてしまったのだろうか、なぜ、母親に敬語なのだろう、J君がこんなにも重たいものを背負っているから、大人を信じけれなかったり激しさでしか表現できないでいたのだろう。J君がショックだったのは納豆が変な味になったことではなく、この出来事全てだったのではないか、こういう生活を送っているオレのことを知ってほしい、解ってほしいという心の叫びだったのではいか。

 

一年前には私を拒否し身体に触れることも許さなかったJ君が、昼寝の時に足をさすられて「ああ、気持ちいい」と言うようになり、家での出来事まで話してくれるように変化していることを思うと、少しはJ君の役に立てたのかなと思えた。

 

 このコラムには様々な課題が内在しています、親の思いと子どもの気持ち、大人と子どもの力関係、家庭と保育園の関係、園ができる支援など…。M先生のように目の前にいる子どもの気持ちを受け止めて、子どもが安心して自分を表現できる環境づくりが基本になっているのですね。

 

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マニュアルを超えた保育士

2011年09月22日 木曜日

resize0037杉並区内の公立私立保育園園長会主催で学習会を行いました。3.11後、鳴りを潜めていた、保育園・幼稚園の今後を多いく変えていくかもしれない、「子ども子育て新システムで保育はどうなるか」がテーマです。

 

今回の学習会は、明星大学教授垣内国光先生を講師に招きました。垣内先生は3.11当日、杉並区内にある阿佐ヶ谷保育園で震災を体験しました。保護者と連絡が取れない状況を目の当たりにして、東京直下が起きたらどうなるのか?そのようなサバイバル状態でも生き残れる保育園でなくてはならないと心底思いました。

 

保育園は子ども達の生活の場そのもので、籠城・立てこもることができる場所だとはっきり認識するべきだと思います。大災害の時には2泊3日程度、子どもが滞在することを想定して水や食料、発電システムを考えてそれを保護者に安心してもらえるように、計画を立案し、保護者には急いで迎えに来なくても大丈夫ですと、意思疎通をすることが急務だと考えています。

 

4月3日の岩手日報に、「園児背に必死の避難、大槌町の保育士ら急斜面登り子ども達30人を救う」という記事が掲載されていました。津波で浸水した避難場所で災害対応マニュアルの想定外の行動をしたのが30人の命を救った裏山への避難でした。このようなとっさの判断は子どもの命を守るという信念がおこした行動だったのでしょう。

 

子ども子育て新システムは、子ども一人ひとりの発達を保障しづらい欠陥の多いシステムです。子どもが本当に遊びこめるシステムでしょか?嬉しいこと、悲しいこと、悔しいことを本当に体験できるのは現在の保育園だけではないでしょうか。大阪では担任が百人一首の上の句を唱えると、下の句を子ども全員が唱える幼稚園が大人気だそうですが…。幼児の保育・教育とはそういうことなのでしょうか、人として賢いとは、人と人が気持ちを伝え合うことができることだと思います。(文責:園長)

 

垣内先生が指摘されるように大災害時には、保護者は職場や避難所に1泊程度留まるように東京都は計画しています。9.21台風でも東京の公共交通機関がマヒし、帰宅困難者で溢れました。お迎えが夜8時を過ぎた子どもに夜食を用意しました。子どもにおにぎりとパンと選んでもらうと、チョコパンがいいというリクエスト、備蓄用に購入したやわらかい缶入りパンそれもチョコレート味があったので用意しました。笑顔で食べている姿を見て、子どもが自分で選べる幸せを提供できたのは嬉しいことでした。

 

★育子園の災害対策

 

次回へ続く…

 

 

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全てと調和する方法

2011年09月21日 水曜日

興味深い話を聞きました。

 

『…私たちは今こうして生きている(生かされている)わけですが、心臓は休むことなく動き続け、体内に血液を送ってくれています。なぜそのように働いているのかを、心臓自体は知らないのではないでしょうか。DNA遺伝子にプログラムされた通りに、ただ黙々と淡々に働いているのでしょう。他の臓器も同様でしょう。「なぜ自分はこんなことをしているのか」などと疑問を感じている臓器は一つもなく、真面目に働いてくれています。

 

万一、その臓器のどれか一つでも欠ければ、私たちの体は正常に動かなくなります。さまざまな臓器が働いて初めて、人間の体というものが成り立っている、生かされていると言うことです。つまり、どれが重要で、どれが重要でない、などということはなく、全てが等しく重要な臓器、重要な存在であるということです。

 

価値のない人間は1人もいない、とお釈迦さまはおっしゃっています。お釈迦さまが誕生されたとき、「天上天下唯我独尊」とおっしゃっいました。「世界中でだめな人は1人もいない。みな、尊い」、「世界中の人々は、みな、1人ひとり尊い」という意味だそうです。

 

自分なんか、たいして世の中の役には立っていないように思えても、本来は皆、家族や地域、社会のためになど、いろいろな関係の中で関連しあって生きています。誰もが必要あって生まれ、生かされているのですから、価値あるいのちを、今この瞬間にいただいている、と言えるのです。…』(文責:園長)

 

自分の思いどおりにならなくて、怒ったりストレスを感じると臓器に良くない影響を及ぼすことは医学的にも証明されています。世の中は自分の思いどおりになることは何一つないと、「諦める(悟り)」ことができたら全ての悩みは無くなるのでしょう。

 

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「いなす」強さと津波てんでんこ

2011年09月20日 火曜日

resize1416東京国立体育館前にある津田ホールで行われた、「国際フォーラム 復興から見える新たな日本の創造 全国どこでもおこる大災害」の後半です。

 

国際自然保護連合のマクニーリー顧問は、私自身は国際会議が日本であり3.11は名古屋で地震を体験しました。東日本の復興事業は、自然災害の課題を国際的な視野で議論していきましょう。自然に対する畏敬の念を基本と、人間力には限りがあり自然を克服できるものではありません。火山爆発、干ばつ、洪水、雪崩、台風など地球上で定期的に繰り返されてる自然現象は食い止めるわけにはいきませんが、人間からすると被害と思えるサハラ砂漠の砂嵐は、大西洋を横断してアマゾンに降り注ぐのですが、アマゾンの熱帯雨林にとってサハラ砂漠の砂はジャングルを維持するための砂として必要不可欠なのです。また、バリ島や日本の棚田は火山灰だから維持でき多種多様な作物が収穫できるのです。しかしながら人間の利益という観点からすると自然現象は災害という言い方になってしますのです。

 

続けて、岩手県山田町の沼崎町長からは、「二度と津波による犠牲者を出さない~復興における大命題~」をテーマに現状報告がありました。3.11以降マスコミで幾度となく拝見した町長さんですが、三陸海岸地方は世界三大漁場の一つで地震と大津波を繰り返してきた歴史があり、長い年月と巨費を投じて防潮堤を築いてきました。しかしながら今回の大津波は想定をはるかに超えたものでした。現在も住民と話し合いを重ねながら新たな街づくり計画を策定しているところですが、住居は海岸線から離れた高台へ移転する方向が打ち出されています。高台移転には個人の土地建物の買い上げ費用が課題になりますが、二度と津波犠牲者を出さないという信念で取り組んでいます。山田町は7千年の歴史がある町ですが、全ての貝塚は今回の大津波で被害を受けなかった高台でした。先人は自然と戦わず受け入れて生きていたのだと改めて教えられました。三陸には「津波てんでんこ、命てんでんこ」という言葉があります、津波が来たら自分の命は自分で守ることを先祖代々教えられたきた土地なのです。

 

シンポジウムの締めくくりは、TBSサンデーモーニングでもお馴染の、東京都市大学教授、造園家の涌井史郎さんでした。「社会生態学的生産ランドスケープから考える東日本大震災復興計画への階梯」という長いテーマで、日本は美しくも気難しい国土を相手に、人が自然に関わる努力を通じ、田園をつくり里山を発明し生態系サービスの恒常的亨受と自然の応力を最小化する知恵を勝ち取ったのです。地球温暖化が叫ばれている今こそ一度、日本古来の里山に倣うことが必要です。NPO法人 森は海の恋人 理事長 畠山重篤さんの提案は的を得たもので、豊かな漁場は豊かな森林によって成り立つのです。その模範として漁師が植林活動を行っているのは尊敬に値します。「日本」という国号の初見は西暦702年で、当時は全国を60の国に区分していました。どのように分けていたかというと各河川の流域界に由っていたのです。昔から繰り返されていた河川の氾濫を上流から下流まで見据えた国づくりをすでに行っていたのです。(文責:園長)

 

トータル5時間におよぶ各界リーダーからの提言でしたが、涌井教授が最後におっしゃっていた、「日本人は、自然の力を“いなす”知恵、それが我が国の伝統的匠の技です」という言葉が印象的でした。自然と対さずに「いなす」ことが寛容を旨とする日本人の本来の生き方なのでしょう。それを裏付けるかのように3.11で東京タワーの先端は湾曲しましたが、約2倍の高さを誇る東京スカイツリーに被害はありませんでした。634には日本伝統の「いなす」工法、匠の技が取り入れられているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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スマトラ沖地震とエビ

2011年09月16日 金曜日

resize1415東京千駄ヶ谷にある津田ホールで行われた、「国際フォーラム 復興から見える新たな日本の創造 全国どこでもおこる大災害」に参加してきました。3.11の復興案と日本全国でをいつ起こるか分からない災害とどのような向き合っていくか、国内外の各専門家から興味深い示唆がありました。

 

日本生態系協会の池谷会長からは、チリ沖9.5、アラスカ9.2、スマトラ9.2、東日本大震災9.0、リングオブファイアーと呼ばれる環太平洋火山帯で発生した地震のマグニチュードです。3.11をうけて国交省は10.8mの堤防を創ろうとしていますが想定外の津波に対応できるのか課題です。全ての建造物はいずれゴミと化すのです、日本は常に地震、津波、台風をこうむる場所で、どのように対策を講じるていくのか、100年後を見据えて今一度考えなおさなければなりません。

 

今回の津波でも宮城県の樹林帯の一部は残ったということを教訓にしていくべきです。スマトラ沖地震から学ぶことは堤防は津波に弱いということが証明されたこと、海岸線に樹林帯を設けてガレキを積み上げた高台に住むという発想をもてたことです。かつてあった樹林帯を壊して日本に輸出するためのエビ養殖場を作るために海岸線改造した結果、津波被害を大きくしたのです。日本の森林の課題はスギを大量に植えたこと、杉は根が浅く流されやすく保水力が非常に低いことが大きな課題です。このように生物多様性を無視した結果、人間によって災害が増えているのです。

 

自然と共存しているのは欧州では、500年持つ建物を造り生態系ピラミッドを守ることを第一に考えています。ドイツのビオトープネットワークが代表的なものです。欧州では20世紀にコンクリートで固めた河川を21世紀には土に再生しています。樹木と野草で自然再生、その土地にある樹木野草を植え、洪水に備えています。ダムと堤防では国民は守れないということにいち早く気づいたのです。ドイツにあるVW本社工場内には遊水地を再生させ、企業も市民の一員、自然を取り戻すことは企業の義務、持続可能な社会を創造することが重要であると訴えています。

 

アメリカ・ミズーリ洲の緊急事態管理庁のダイムラー副長官は、ミズーリ州はミシシッピ川流域の洪水に悩まされていた地域の移住を行っています。行政が土地建物を買い上げ、住民は安全な高台に移転して生活をしているのです。毎年のように繰り返される低地の浸水被害に無駄な税金を投入することを考えれば、結果的に費用負担は低く抑えられるのです。

 

日本は世界でも極めて得意な場所、リングオブファイアーかつ、3つのプレートが交わっているので、地震関連災害が定期的に必ず発生する珍しい場所なのです。さらには台風の通り道でもあり、地球温暖化の影響で海水温が上昇して台風は今よりも巨大化し大きな災害をもたらすことになるでしょう。(文責:園長)

 

講演を伺って感じたことは、育子園の近隣を流れる神田川もコンクリート護岸で固められ、幾度となく氾濫を繰り返しています。その対策として東京の幹線道路、環状7号線周辺に15万㎥の貯水槽を備えていますが、降雨量想定は時間60㎜ですから都市部で発生するゲリラ豪雨に対して万全とは言えない状況です。浸透性の無いコンクリートから欧米のように水を受け入れる土と緑化で防災対策を講ずる発想に転換するには相当な時間がかかりそうです。

 

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アドリア海の子ども達

2011年09月15日 木曜日

「誰かのためなら人は考える」と題した、NPO法人JENの事務局長:木山啓子さんの講演会に参加しました。JENは国際協力、心の支援で19の国と地域に出向いて、支援先のニーズをよく聞いて独特な支援をしています。 

 

2004年のスマトラ沖地震でスリランカでも5万人の尊い命が奪われましたが、支援物資には、スリランカの食卓には欠かすことのできないココナッツの身を削る道具も送りました。また、現地の人々と道路や井戸を一緒に作り、現地の人が管理して運用できる井戸掘りとメンテナンス方法も伝授しています。

 

取り残されがちな人や地域を中心に支援していますので、山岳地帯で道もない村落に物資を届けるために、ロバや馬そして人力で現地の人達と一緒に運ぶこともあるそうです。

 

2010年のハイチ地震では自立支援を促すために、現地の人達にトタン板と釘と金槌などの材料を提供し、現地の人が自分好みの家を造る援助を展開しました。自分で作った家だと丁寧に扱い、壊れても自分で治すのですが、支援側が造って提供すると往々にして、粗末に扱ったり壊れたら修理を依頼してくることになりいつまでも自立できないのだそうです。

 

旧ユーゴスラビア内戦では1994年からJENは継続的に支援をしました。私も1998年に赤十字とJEN、育子園の法人本部が合同で行った、旧ユーゴスラビア・チャイルドリカバリープログラムに参加しました。このプログラムは長期間にわたる内戦で家族を失ったり、離散してしまった子ども達を癒すプログラムでした。

 

子ども達はモンテネグロ語しか喋れないので、辞書を片手に象形で伝え合う毎日でしたが、日本から持って行った折り紙やゲーム・手品を一緒に楽しんだり、イタリア半島をのぞむ夏のアドリア海で泳いだり、サッカーをする中で少しづつ笑顔を取り戻していく子ども達を見守りました。

 

支援活動の5つのポイントは、①知る(状況を現地や人々から教えてもらう) ②行動する(自ら実行してみる)③忘れない(現地から帰っても) ④続ける(一過性に終わらない) ⑤伝える(現地で体験したことを多くの人に伝える)。ことです、そして「祈りをささげる」ことも大切なことです。

 

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