努力しますが、結果はわかりません
2011年06月14日 火曜日
人は皆、「私はかなり正しい」と思っているのではないでしょうか。たとえば母親が子どもを怒ったり先生が生徒を怒ったり、上司が部下を怒ったりすることがあるかもしれません。確かに相手が間違ったことをしたのかもしれません。
その時、我々はあなたが間違っているからと、自分の怒りを正当化しています。相手によって自分が叱ったり怒らなければければならない状態になったのだと、さらに相手を責める心が湧いてきます。
こんな考え方はできないでしょうか。たとえば相手が間違っているのなら、相手に対して叱ったり怒ったりするのではなく、「それはこういう理由で間違っていますすよ。次からは間違いないようにしましょう」とニコニコ顔で言えばそれですむことです。
それなの人はなぜ怒るのでしょうか。
その時も、自分は正しい。自分の言葉も正しい。自分の考えも正しい。という概念が頭にあるのです。
この考え方を続けていると、その人の周りから人が去っていきます。子どもは親を避けるようになり、同僚や部下は去っていくのです。
ではどのように考えたらよいのでしょうか。一つの考え方として、「自分は完全ではないし、相手にも決して完全な結果を求めない」という思考が、この世の中で我々が落ち着いて生きていられるヒントです。
もちろん、物事をいい加減にしてしまうのは、よくありませんから、「私は努力しますが、結果はわかりません」という知的で、高度な生き方はいかがでしょう。このように生きるなら、いつでもどこでも怒りなど無縁の世界で、あなたに触れる人々から尊敬される人になれるのです。
Posted in 前園長(11代)須田 益朗の実践ブログ